第六章 正義の定義

正義(名)セイ・ギ
【器物損壊容疑の取り調べ時に録音された『彼』の肉声】
「僕は、正義だ。ただひたすらに、自分の正義を貫くだけだ。僕は正義の刑事で、あいつは裁かれるべき殺人犯だった。僕は悪くない。僕が悪いわけじゃない。なぜなら、僕が正義であるからで、この社会に僕という存在を投影した場合、自分の意志に因る部分に依拠して、僕の正義こそが正しいと証明され得るからだ」
「言っている意味がいまいち飲み込めないんだが、要するに罪状に関して否認はしないということだな?」
「何故、今、僕がここに閉じ込められているかと疑問に思う者もいるだろう。それはそれで構わない。ごく自然な発想だとも言える。凡庸な思考回路とも言い換えられるけど」
「認めるんだな」
「そもそも、『閉じ込められている』と言う表現は正しくない。僕は僕を僕たらしめる根拠の一部と同化しているだけ。『拘束された自由』を味わっているんだ」
「どういう意味だ」
「これは確かに僕の意志だ。世界が僕に追いついていないんだ。嘆かわしい事に、僕の理解者はこの世にただ一人しかいない」
「誰だ、それは」
「そう、僕はいよいよ自分の影を失おうとしている。僕自身もまた、見えざる影になるんだよ」
「質問に答えろ。その理解者とやらは何処にいるんだ」
「君にはわからないだろうね……机上の正義しか振りかざせない君には。あの人は到達していたよ、こんな場所より遥か遠くに。そして今度は僕の番だ」
「何の順番だ」
「僕は選ばれたんだ」
「……何の話だ」
「次の舞台が僕を待ってる……こんな場所でいつまでも君と実りのない会話をしている時間はない」
「とても会話になっているとは思えないがな。 葉山。お前、自分が何をしたのかわかってるのか」
「……」
「葉山?」
「……」
「今度はダンマリか。時間を稼ぐつもりだな」
「喉が渇いた。何かないの?」
「お前な、自分の立場くらい理解しろ。麦茶くらいなら持ってきてやるが」
「大竹君、君こそ何もわかってない。君は今、『生かされている』んだよ」
「何だと?」
「君はだいぶ僕の正義に反している。秩序を守ることが、『人間の』正義とやらかもしれない。だが、その秩序が少数という烙印を捺された存在の犠牲によって成り立っているとしても、君はそれを守りたいと思えるかい?」
「いつだってマジョリティが世界を動かしてきた、というのが傲慢だってことくらいはわかるさ」
「犠牲者を『マイノリティ』の一言で片付けてしまうのは、違うな。やはり君はわかっていない。この先もわからないだろう、僕らの苦悩など」
「僕『ら』?」
「麦茶をくれるんじゃないの?」
「ああ、それはわかってるけど、なぁ葉山、お前―――」
「もう一度言う。君は今、『僕ら』に生かされているんだよ。世界と自分との関数が一切失われたその瞬間に、糸は途切れる。認知と現実を繋ぐ細い糸がね。僕はそれを繰る者だ」
「とっくにお前の頭の糸は切れちまってるんじゃないか」
「ねぇ、喉が渇いたってば」
「……わかったよ。今持ってくる。少し待ってろ」
「――あ」
「おい、葉山どうした。疲れたのか」
「大竹君……すごく気分が悪いんだ」
「顔、真っ青だぞ」
「終わらせなきゃ……」
「そうだな。今日のところはもう終わりにしよう」
「違う。君が『終わる』んだよ」