肩こりに効くサムシングを希求している

その頃の私には知識もなかったし、インターネットも普及していなかったので情報を得る手段は皆無だった。

何より「たぶんみんなそうだから」という先入観に侵されていたから、私は自分自身に起こり続けていた異変、そして叫び続けていた心の声に気づいていなかったのだと思う。

統合失調症と診断されて【17年】、そう思ってきたし、あちこちの講演資料の自己紹介のパワポにもそう書いてきた。だって、確かに17年前の主治医はそう診断書に書いたから、それは「正確な情報」として私にインプットされた。

結婚などの事情で一旦離れたものの、紆余曲折を経て私は現在、自分が最初に入院させられた精神科病院に自主的に通院している。

今の主治医は泰然かつ慈愛に満ちたおばちゃん精神科医だ。この人とのやりとりが毎回、本当に刺激的で面白いので、それはまた別記事に書くとして、その主治医(Nさんとする)が、この前の私の受診時に「うーん」と首をひねった。

「何かあったんですか?」

私が素朴に尋ねると、Nさんは私の「初診時(=入院時)」の頃の電子カルテを読みながら、やはり「うーん」。

Nさんはふと私の目をじっと見てきた。Nさんは漢方医でもあるので、確か東洋医学は目や舌の状態を医学的な判断に活かす、ということを思い出し、これはその診察の一環だと思って、私もNさんをじっと見つめ返した。

しかし、Nさんはゆっくりと、しかし明瞭な口調でこう言った。

「心琴さん、どうか落ち着いて聞いてな。統合失調症ってのはね、確定診断に半年はかかるものなの。でも心琴さん、あなたのカルテ見たらね、ここに来たその日に『統合失調症』って診断された記録が残ってるんだよね」

???

「無理に辛かった記憶を掘り起こす必要はないけど……何か思い当たることはないかな」

???

「心琴さん。あなたは私と初めて会った時、『もういい加減、前に進みたい。でも前を向くことと過去をないがしろにすることは違うから、自分の歩みを大切にしたい』って言ったね」

うん、言いました。

「中学校の頃は不登校だったんだよね。保健室登校にもトライしたって親御さんが教えてくれたことが記録として残っている。心琴さん、その頃のことは覚えてる?」

ええ、そりゃもう。今ではその頃の痛みをエネルギーとして変換していろいろ活動してて……

「ちょいとごめんよ」

え?

Nさんは私の前髪を右手で上にあげ、左手で私の右まゆに触れた。

「この傷、なんだい?」

え?

確かに、私の右まゆにはいつの間にか、裂傷が不器用にふさがった跡があった。そこからはまゆ毛が生えてこないため、メイク不精の私もファンデーションの上からその部分だけは毎日、アイブロウで整えて(ごまかして)いる。

「さぁ……なんでしょう」

Nさんは、真剣な表情のまま、むーん、と腕組みした。

「これは私の推量の域を出ないし、どう受け止めるかは心琴さん自身の課題だけど、きちんと伝えるのも医師の使命というやつさ。だから、いい?」

はい、なんでしょう。

「あなた、不登校の頃に神経科とカウンセリングに通ってたよね。その頃のことは覚えてる?」

うーん、なんとなく。

「その頃、何がつらかった?」

そうですね。何が現実で何が幻覚なのかの判断がちゃんとできないのがとても不便でした。街を歩くと通行人がみんな自分をアイスピックや包丁で刺そうとしてくるから、いつもカバンには自衛のためにカッターを入れてました。あと、油断すると教室のあの独特の臭いとかザワザワした嘲笑が脳内で再生されちゃうから、あらゆる感覚と感情が暴れるのを抑えるのに必死でした。「飲めば何も苦しむことがなくなる」っていう薬ももらっていたけど、一回飲んだら「苦しむことがなくなる」わけじゃなくて「思考が強烈に抑制されて何も考えられなくなる」感覚に落ちただけでしたね。副作用で自室のベッドで身動きできなくなって、体が硬直していたから、恥ずかしい話ですが、当時私もう13歳だったのに、おしっこを失禁しちゃったんですよ。その時の情けなさとか悔しさとか、あーなんか、ぼんやり思い出した。

あ、でもどっちが現実でなにが幻覚なのかがわからなかったから、私のその姿を見た母が泣いていた気もするけど、それも気のせいだったかもしれないし、夏休み明けに思い切って登校することを決めて勇気を振り絞って教室に入った瞬間にクラスの空気が一瞬凍って、まもなく「クスクス」と笑い声が聞こえたことも、全部私の勘違い、思い過ごしだったのかもしれないし。あれ? もしかしたら、誰も、悪くなかったのかな、私が、間違ってただけかな? え、まじかー。

(Nさんはなおも、私の目をじっと見てくる。容赦がない。)

でもほら、「厨二病」って言葉があるでしょう。思春期ってみんな、現実と幻覚の区別に苦労する時代じゃないですか。 だから私も、そういう意味ではどこにでもいるような……

「心琴さん、処置室で少し横になってみて」

「はい?」

「処置室の奥のほうに照明を弱めにした静かな空間があるから、そこで少し休んでいってほしい」

「あ、はい」

Nさんの指示に従って、私は処置室で休ませてもらうことにした。処置室内の看護師さんは、たぶん私より年下だと思うけれど、笑顔の柔らかい女性で、とても丁寧に接してくれて、自然と気持ちがほぐれていった。

どれくらい横になっていたのか正確には覚えていないけれど、ぼんやり灯るその空間のライトの色があたたかくて柔らかくて、私はぼんやりとそれを見つめていた。

そして、唐突に目の奥、たぶん脳みそあたりにビキィッ、と電流を流されたような感覚に襲われ(実際に電流を用いた精神科の治療法はあるけど、それを受けたわけではない)、自分で制御できない感情が巨大なうねりとなって自分自身に襲い掛かってきた。目を閉じることはできなかった。ただただ、目の前に突如出現した「映像」に瞠目し続けた。

予告編とコマーシャルのない映画? それも流行のシネコンじゃなくて、渋谷のユーロスペースや下北沢のトリウッドみたいなミニシアターでしか観られない類の。これは一体、誰のための映画だろう? しかもなんでモノクロ? おしゃれかよ。

フィルムの中では私が朝起きて支度をし、学校ではなく図書館へ行って帰宅して、夜ご飯を食べて眠る様子が繰り返し映し出された。

わけのわからないままそれを凝視していたけれど、「ある場面」になると急に目の前が真っ赤になった。その色は鮮血のそれだった。別に血みどろの場面を見たわけではない。私の目が血で覆われていたのだ。右の眼球にダラッとしたたり続ける血。目に入り込んだ血液が痛くて、どうにかぬぐおうと必死に右手を使う私。この時のセーラーは冬服だったから、血が付着しても目立たなかった。よかった。のか? わからない。今でもわからない。

せめて保健室登校をしようと、こそこそ隠れるように校舎の裏手から保健室を目指していた私に向かって、2階の教室から「何か」が投げつけられ、それは私の右まぶたを裂いた(その「何か」がチョークだとわかったのは後々の話)。眼球じゃなくて、まぶたで良かった。その時は本気でそう思った。それでも、悔しくて情けなくて、何よりもわけがわからなくて、こみ上げてきた涙が血と混ざってぐしゃぐしゃと私の顔を汚した。

不思議なことに、その赤色が、当時経験しはじめたばかりの月経で流れる血のどす黒さとぜんぜん違って、透明感があってきれいだなー……と、どこかで感じていた自分がいたのも確かだ。混乱する思考の中で、ふと見た自分の右手がその「きれいな赤色」にべったり染まっていたことを、どうして今まで忘れていたのだろう。

到底、興行的には成功しそうにもないフィルムは、保健室から保健の先生(定年間近の保健師のおばさん)が真っ青な顔で駆け寄ってきて、上手く泣き叫べずその場で硬直したまま涙と血を流し震える私を、黙ってぎゅっと抱きしめてきた、というシーンで終わった。

気がつくと、30歳をとうに過ぎた私がベッドの上で涙をぼろぼろと流していた。そこへ他の患者さんの診察が一段落したNさんがやってきた。Nさんは私の顔をぐいっと覗き込んできた。あれはたぶん「おばちゃん」ならではの積極性を磨いた者だけが持ち得るスキルなのだと思う。そして、

「心琴さん、どんな気分?」

「あ……。なんか、なんだろ。もしもこの先、どこかで『あの子』みたいな子に出会ったら……セーラー服時代の自分ごと、ぎゅーってしてあげたい、そんな気分かな……」

「ほほう」

それから、私は今さっき観たばかりの「映画」について報告をした。Nさんはうんうん、と頷いて、ニヤリと笑った。

私はnoteという場を利用し、あの日の診察で起こったことを、今覚えている限り記している。あの日観たフィルムの意味もよく整頓しきれていないし、メイク不精の私に毎日のアイブロウを強いているという点ではあの中学校にいた人々を未だに許せない。

けれども、笑われること、陰口を叩かれること、嫌われること、人格否定されることのもろもろを蹴散らして突き抜けて「生き抜いてきた」という自負と自信はある。そしてたぶん、それゆえに私は強くなった。否が応でも。

職業柄、官僚やら役所の人やらとバチバチとバトルするし、顔出し名前出しで「精神障害ってこんなんよ。いいからとにかく伝われ!!」(意訳ね)的な講演活動もガンガンあちこちでしているし。

そりゃあ、既得権大好き系な専門職などの諸方にはえらく嫌われているし、好き放題ネットに書かれている……らしい。全然興味ないから知らんけど(というか、そんなにご自分たちの主張の正当性に自信があるなら、私は顔も名前も職場も公開しているんだし、どうせ掲示板に書きこみするほどには暇なんだろうから、うちの事務所に来れば? 直接お相手しますよ。そうそう、みんなあちこち出張に行くから、いつも各地(各国)の銘菓がそろっているからそれお出します。なんなら美味しいコーヒーも淹れますよ~、とか)。

嫌われて叩かれることがデフォルトになってメンタルマッスル(?)が鍛えられると、選球眼に長けたプロ野球選手のごとく「本当に耳を傾けるべき人」の言葉だけが、心に反応するようになる。それに気づくと、日常は本当に雑音だらけで、だからこそ、美しいものや言葉、気持ちに出会うと心から嬉しくなれるのだろうなーと思う。

思えば中学校時代、「クスクス」と笑われるたびに神経がキュッとなって逐一痛がっていた私、めっちゃかわいかったと思うよ。まぁ今も今でじゅうぶんかわいいけどね!(もちろん冗談だ、通じろ)

私が「クスクス」に反応する度に調子づいた皆さんによってどんどんいじめはエスカレートしたわけだけど、ちょっと視点を変えれば、それも「いちいち気にしてあげてた私の優しさに漬け込んで人をボロ雑巾以下に扱うことに愉悦してた奴らが現在もれなく因果応報ブーメランで哀れな生活を強いられているのだがそれよりも今の私の一番の悩みはひどい肩こりなので何かいいグッズがあれば教えてほしい件」というタイトルのラノベでも書けそうな、そんな素敵な予感に変わるよね。

まぁ、書かないけどね! (今はこの前の「つぶやき」で触れた「ヤバすぎる性癖に悩む先輩を夢中にさせるため色々やらかすアラサー女子の血まみれ奮闘記☆」を鋭意執筆中なのだ)

人生は美しいことだけ憶えていればいい。これは佐藤愛子さんの本のタイトル。この言葉が「ほんそれ」的にじんわり沁みてきたという意味で、長生きしたいなぁ、おでんの味しみ大根のようにほっこりした人生をこの先もほがらかに送っていきたいなぁと改めて思った、7月の昼下がり。

あ、そうだ、講演用のパワポの自己紹介、書き換えとかなきゃな。締切いつだっけ? やべ☆(テヘペロ←やめとけ)

そんではー、ちらっと繰り出して美味しいランチでも食べに行きますかね。皆さまもどうぞ、梅雨空の鬱々に負けずに穏やかな午後をお過ごしくださいませ。