二十二話 刹那の灯(一)血

その場に居合わせた女性看護師がすぐに美奈子に駆け寄り、三角巾として使っていたバンダナで美奈子の二の腕をきつく締めあげ、「大丈夫だよ」と声をかけた。それから先ず消毒しようと傷口から溢れる血を拭おうとする…

第二十一話 慈愛の罠(七)刃

「忘れ物だ」 開口一番、若宮が木内にそう告げると隣で俯いていた青年がおもむろに顔を上げた。それを見た木内は、思わず息を飲んだ。 「君は……」 若宮が若干あきれた表情で木内を見やる。 「『中途半端』は、…

第二十話 慈愛の罠(六)詩歌

美奈子は裕明の過去について何も知らない。知らないからこそ、わかることがある。それは、自分のことを「雪」と呼ぶ時の彼が、瞳に深い悲しみを湛えていることだ。彼は美奈子に「雪」と呼びかけたのち、窓辺に腰掛け…

第十九話 慈愛の罠(五)許し

都心で耳にする蝉の声よりも、この奥多摩の森林から注ぐそれらは柔らかく美奈子の耳に沁み入った。アブラゼミ、ミンミンゼミにまじってこの頃ではクマゼミがこの辺りにまで生息域を拡げているらしい。独特のわら半紙…

第十七話 慈愛の罠(三)願い

ひとしきり話を終えた裕明は、昂ぶった呼吸を整えるために、長めにため息をついた。 「そういうことなんです」 力なく笑ってみせる裕明に対し、美奈子はあっけらかんと右手を、再度高く上げた。 「はーい、先生!…

第十八話 慈愛の罠(四)風

それは確かに、二人にとっては優しい時間だった。不自由と抑圧を絵に描いたような場所ではあったが、それでも二人は、その空気に抗するごとく、不器用ながらも真剣に心を育てあった。 少女——雪は、ちらりと目が合…

第十六話 慈愛の罠(二)邂逅

事件の一報を児童養護施設の職員から知らされた裕明はうつむいて、その職員に気づかれないよう、「やっぱり」とこぼした。宿直の男性職員は、裕明に深呼吸を勧めた。 「まず、落ち着くんだ。今回のことは、いずれ知…

第十五話 慈愛の罠(一)人殺し

木内が美奈子を待合ロビーへ招き入れ、あおいがウォーターサーバーの水を汲んだ紙コップを手渡すと、美奈子はそれを一気飲みした。開口一番、 「話をさせてください」 という美奈子の鬼気迫る雰囲気に一瞬だけ圧倒…

第十四話 過日の嘘(七)邪魔者

木内の口から「情報提供」として若宮に共有されたのは、高畑美奈子の家庭環境についてであった。 彼女の父親は大手の商社に勤めるサラリーマンであったが、長引く不況ゆえリストラの対象となり、マイホームのローン…

第十三話 過日の嘘(六)声

カビはカビを生む。ホコリはホコリを呼ぶ。けれど、あなたはその原理に抗って、よく今日まで生きてきた。群れることなく日和ることなく、媚びることなく臆することなく、屈することなく生きてきた。だから私はもう、…