それでもまだ、学校へ行きますか?

学校に行けないことがあたかも悪いことのような空気、風潮ってまだあるのかな。毎日のように子どもの自殺のニュースがネットに流れてて、とてもつらくなる。

だから、何度でも言う。

学校は、命を賭してまで行くような場所じゃない。

最近になってようやく、「子どもの頃のトラウマやつらい経験が生涯にわたり健康を害する」という研究結果が出た。一生の健康を失ってまで、学校に行く意味はない。断言していい。

逃げるのだ。マウンティングしあい、監視しあい、嗤いあい、貶しあうような場所からは。逃げるが吉、負けるが勝ち。

明らかに、学校の持つ意味が変わっている。学びあい、笑いあい、時としてともに泣き、青春を送るだなんてのはもう、幻想でしかなくて、今の学校っていうのはきっと、子どもにとっては「いかに自分が傷つかないために要領が良くあるか」を競う場所なのかもしれない。はっきり言って、地獄だ。

学力があっても、それで他者を見下すような子ども。それが育つと、財力があっても、他者を平気で見下すような大人になる。

なんのための教育なんだろうね。頑張っても、その姿を「www」って嗤われるんだもんね。やってらんないよね。

頑張らなくていい。学校に行かないことは、劣っていることでも恥ずかしいことでもない。むしろ、こうパラダイムシフトしてみたらどうだろう。

こんな荒んだコミュニティで、傷つかないような人間のほうが、神経ヤバくないですか? こんな腐った社会でいけしゃあしゃあと生きるほど、図々しいと思いませんか? ハエなどは排泄物のそばでは生き生きとします。

これは「いじめ」に限らない話ですが、(いじめ加害者は被害者から一生の健康を奪ったという罪の意識にそれこそ一生苦しまないとね)今のこのなんとなーく多くの人が抱える「生きづらさ」って、

バカのほうが生きやすいから

じゃないですかね、と。念のため、「バカ」とはここでは当然、学力うんぬんではないっす。

今、学校に行けない、行きたくない、で苦しんでいる人が万が一いたら、胸を張ってほしい。あなたは、賢い。今苦しんでいるのはその証左だ。そして逃げていい。逃げたほうがいい。学校はすでにあなたにとっては意味のない、百害あって一利なしの場所だ。

勉強は、なんとでもなるよ。本当に、なんとでもなる。実際、私はなんとかなった。行きたい大学に行けたし、なりたい資格も取れた(もちろん、それだけが正解ではないよ)。学校に行く行かないで苦しむ時間がもったいない。学校のことは捨て置いて、楽しいことを考えよう。

世界は、広い。そしてたぶん美しい、まだあなたが知らないだけで。

あなたの生きる道に、幸多からんことを。