第十章 沈黙の詩

世界に拒否されたことを理由に世界への復讐を誓った者たちがいる。しかし、彼らが拒むのはあくまでも彼らの認識する世界である。だからこそ、彼らは追い求め続けるのだ。多くの人間の情欲の処理に乱用されてきた『愛』という言葉の存在・賛否・可否・是非と、全てを包み込む深い沈黙を。

「春の訪れにはただ、黙せよ賢者――死に似て死に非ず」

愛を求め、存在の無条件の肯定を求めて、人は神に責任をなすり続けてきた。罪を背負わせ続けてきた。真に復讐されるは、それでも生命を連綿と繋げてきた人間ではないのか。神などいないと笑う者も、己の罪を降り注ぐべき天啓で洗い流そうとしている。その目論見は、遺伝子レベルでプログラミングされ、正当化されてきた。人間は感情のままに涙を流し、汗を流し、言葉を垂れる。赤子は、世に生まれ出たそのおぞましさに怯え泣きながら誕生する。ここから悲劇が生まれないわけがない。

「世界の賢者は、我らの究極の愚劣である……」

夜の街を彷徨う手負いの獣は、呪いの言葉を並べながら、未だ息を止めない。出血は止まったが、痛みが消えることはない。その痛覚が彼の目覚めを導いているといっても過言ではない。
短く息を吐きながら、彼は雨けぶる街を行く。冷える体を庇うように身をよじり、ぎこちない動きで公園のベンチに座る。濡れた座面に滲む、血。
「賢者は何処にいる」
こんな世界を愛する愚かな賢者は何処にいる?
「違うな」
彼の言葉は容赦なく雨にかき消され、誰の耳にも届かない。しかしそれでも彼は続ける。言葉を流すことが、表現をすることが、彼にとっての存在証明だからだ。そう、存在は、証明されなければならない。こんな不条理が通る世界を、彼らが憎まない筈が無かろう。
「私が賢者だ」
そう断言した葉山は唇を吊り上げ、肉食獣の様な鋭い視線で世界を裂き、否定する。今までも、そしてこれからも。