第七章 正しい紅茶の淹れ方

『僕は、僕の信じるところに因って行動しただけです。僕は悪くない。僕は間違っていない。そう、僕こそが、正義だ。それを否定するのなら、あなた達は悪だ。この社会の。いやこの世界の。悪は駆逐されなければならない。僕がそれを実行するんだ。その資格が、僕にはあるんです』
「なんだ、これ……」
ICレコーダーから聞こえてくるのは、間違いなく自分の声。しかし、そこから聞こえてくるのは自分の言葉では、ない。
「!」
葉山は突然の屋鳴りに驚き、半ばヒステリックにカーテンを閉めた。薄暗くなって西日すら差しこまなくなった外だが、今度は街灯がうっすらと射しこんでくる。その光が、自分を監視しているような圧迫感を受けたのだ。
ICレコーダーからは、ポツリポツリと自分の声が漏れ聞こえる。止めたかったが、止められない。何かの呪縛にかかったかのように、手が停止ボタンを押すのを拒否するのだ。
と同時に、自分はこれを最後まで聞かなければならない。そんな気がした。若宮の言葉がリフレインするのだ。
「あなた自身を、取り戻して」。
それは一体、どういう意味なのだろう。曖昧な記憶は、ICレコーダーが全て代弁しているとでも?
葉山の不安を見透かしたかのように、そしてそれをせせら笑うかのように、録音された声は残酷な事実を突き付ける。
『確かに僕が土竜さんを殺したよ。けど、それが、――何?』
「!……」
気味が悪い。しかしそんな自分に関係なく、ICレコーダーの中の自分は、尚も話を続ける。
『大竹君。君は僕らに生かされているんだよ。僕自身もまた、見えざる影になるのさ』
「なん、だって……?」
葉山は自分の耳を疑った。信じたくなかった。第一、状況が飲み込めない。
大竹というのは、同期の刑事のことだ。とりわけ仲がいいわけではないが、優秀な刑事だと思っている。どうやらこれは、そいつとの会話のようだ。というより、同僚に取り調べを受けている場面ということだろう。
呼吸と鼓動が速くなる。不安と緊張の高ぶりで、葉山は額に冷や汗をかいていた。ICレコーダーの自分の音声は、相変わらず何か不可解な話を続けているのだが、葉山は今さっき聞こえてしまった、自分の供述が耳から離れなくなっていた。
僕が、誰かを殺した?
彼はどうにか気分を治めるために、ごくりと唾を飲み下した。しかし、不安とともに込み上げてくるもう一つの感情に、彼は強い困惑を覚えた。
蘇る、手の感触。冷たい銃の重さ。発射した瞬間の衝撃と、恐怖と、一抹の―――快感。
「違う!」
葉山は頭を掻き毟った。
否定したかった。自分がそんなこと、するわけがない。
僕は知らない、何も知らない!
葉山がパニックを起こしかけたその時、部屋に突如として電子音の幻想即興曲が鳴り響いた。
「わっ!」
思わず悲鳴を上げる葉山。だがすぐにそれが携帯電話の着信音だとわかると、彼は震える手で手を伸ばして通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「おや。『まだ』みたいですねぇ」
「……あんた、さっきの」
「忘却は、人に備わった大切な能力です。精神の崩壊を防ぐための防御壁とも言えます。しかし、記憶を失うことに対して罪悪感を抱く人が多いのは、なぜでしょう」
「誰だ」
「忘れたのなら、そのままでよかったのにね」
「いい加減にしてくれ」
電話の主は、一呼吸置いてこう言い、電話を切った。
「『世界を憎む、その目に光を』」
それは彼を導く宣託か。あるいは地獄へと落とす誘惑か。
彼の手から携帯電話が落ちた。コトン、と乾いた音を立てて。ICレコーダーからはまだ彼の声が聞こえてくる。
『そう……世界はそれを認識する者の数だけ存在するというけど、じゃあ認識できなければ認められなくてもいいのかい? 違うよね。ほら、星の王子様も言っていただろう、本当に大切なものは、目に見えないって。僕は確かに土竜さんを殺した。けどね、僕は土竜さんに殺されようとしている。大竹君、君にこの意味がわかるかい』
「う……」
『君は僕らに生かされているんだってこと、教えてあげようか?』
「………」
ここでICレコーダーの音声は途切れる。ガタガタという雑音がして、衣擦れと思しき音が一際大きくなった瞬転、録音が終わり――――同時に、葉山は意識を失った。