明日が来てしまうね

楽しい時間というのは、どうしてあっという間に過ぎるように感じてしまうのかなー。今日という日まで、なんだかんだでご機嫌よろしく、ふわふわと無事に日常を送れる喜びを噛みしめてきましたが(もっとも、不調に陥ってたくさん心配をかけてしまったりもしたけれど)。あぁ、返す返すもこの前の文学フリマは本当に楽しかったな。うん、たぶん自分の中で「文学フリマまでは、直視しないでおこう」という、勝手なモラトリアムを設けていて、それが実際過ぎてしまって、いよいよ向き合わざるを得なくなったことも、精神的な不調を招いた一因かなとは考えています。

ここで「このこと」について書くべきか書かざるべきか、そもそも本人の気持ちも確認しないで書くのはどうなのかとか、さんざん悩みました。でも、この場が自分の気持ちを整えるために有効であると割り切って、今日のnoteを書きたいと思います。この場でこういう「甘え」や「弱音」(なのかな?)を書き連ねてしまうことを、どうか許してやってください。

いつか、自分たちの経験を明文化することによって、似たような経験や境遇の人たちの参考にでもなるのなら、この数年間抱えてきた苦しみや葛藤も、いずれ社会に還元できるなら。今はそう願っています。

本題を書きます。単刀直入にいうと、明日、夫はとある疾患のために手術を受けます。仕事の時間をどうにかやりくりして、プライベートの時間をある程度犠牲にして通院を続け、あちこち検査もして、決して安くない薬の服薬なども継続し、考えられる手段はすべて講じてきました。

ですが、非常に悔しいことに医師からは「手術しか、もう解決の手段はありません」と断言されたのが今年の3月。結婚のために今住んでいる街に私が引っ越してきて、ちょうど丸6年を迎えた頃でした。

今思えば、結婚前から私のほうが、「あれ?」と、彼の身体的な異変には気付いていました。でも、その時は私にも知識がありませんでしたし、「個人差なのかな」とか「いろいろあるんだろうな」くらいに思っていました。

しかし、結婚後に私が感じていた違和感が徐々に嫌な予感へ、そして確信へと変わっていったのですが……。それには、およそ数年の月日を要しました。このかんに過ぎてしまった時間のことは、後悔しても後悔しきれないくらいに後悔していて、なんでもっと早くに動き出せなかったのか、とか、彼に自分自身の異変を自覚してもらうために、私が「おかしいな」と感じていたことを率直に伝えることをなんで躊躇してしまったんだろうとか、日々の忙しさにかまけていろいろな大事なことを先送りにしてしまったことととか、今書いているだけでも後悔の念にがんじがらめになることが多すぎて、リアルに涙がじわっとしてくるのです。

でも、一番不安や緊張と闘っているのは彼なので、ここで私が涙を見せてしまうのも、傲慢になってしまうかなと思ってしまって。まさか「君の病気のことで私は泣いています」と言うわけにもいかないし、彼のことだから彼自身のこれまでのふるまいを責めてしまうだろうな……というのが想像できてしまうので、なんとか泣くのはこらえています。

今宵は夜風が心地いいので、ベランダの窓を開けているのですが、澄んだいい空気が入ってきます。普段は閉めているから気づかないけれど、窓を開けると、京王線が行き交う線路のカタンコトン(少し遠いので「ガタンゴトン」ではない)という音も耳に優しく感じられます。彼は窓辺に置いたソファに腰かけて、さっきからその夜風と電車の通過する音に耳を傾けているようです。私は、その横に設えたデスク(自宅で仕事をするときにはここを使う)で、しれっとこのnoteを書いているのです。

手術の結果次第で、今後の笹塚家のあり方というか生活がまるで変ってくるので、そういった見通しもきちんと立てなければならないことも、結構精神的にしんどかったりしてね。

25年ほど前、実父が白血病で長期の入院と骨髄移植手術を余儀なくされた際、小学生だった私は「よくわからないけど、お父さんが怖い病気になってしまった」くらいの認識しかなくて、歳の離れた弟は物心もおそらくついていなかったのですが、母が平日は冷凍食品の宅配などでどうにか生活費を稼ぎ、週末になると父のもとへお見舞いに行き、そんな生活を送ってヘトヘトになっても「つらい」とか「嫌だ」とか、そういった愚痴の類を一切言わなかったことを思い出しました。ついでに、平日保育園に弟を迎えにいく時間の取れなかった母の代わりに保育園に行っていた私に、他の園児たちが「なんか少し年上のお姉ちゃんが来たから遊んでくれるんだろう」的な認識でわらわらやってきて、「セーラームーンのルナ描いて!」と言われたので、なんとなく猫を描いても「それはアルテミスだよ!」と言われて「なるほど最近の子ども(注:自分もじゅうぶん立派なお子様でした)は細かいディティールを気にするんだな……」としみじみ感じたことも思い出しました。今思えば、黒猫か白猫かの違いだとは思うんだけど(違うのかな?)。

母が父の手術の前日、どんな心境だったのかは想像もつきませんが、いつも通りに朝食を作ってくれ、「いってらっしゃい!」と見送ってくれたのは、なんとなくですが覚えています。ついでのついでに、担任の教師には母から事情を伝えていたにも関わらず、手術当日、私はとにかくとても不安で、授業を聞いているどころじゃなかったのに(たぶん、早くに亡くなった両方の祖母に「お願い、おばあちゃんとおばあちゃん、まだお父さんを連れていかないで」と祈っていたと思う)、それが「上の空状態」に映ったらしく、教師から「こら、笹塚! お前、さっきからボーっとしやがって。ちゃんと聞いてんのか?」と言われた時には、子ども心に「これは正当な注意でもなければ叱責にも満たない暴言だ」と判断し、悔しさのあまり「うるせえ」と吐き捨て、それがさらに教師の理不尽な怒りを買い、「この時間が終わるまで廊下へ出ていけ!」と言われた時間の授業が「道徳」だったという、今思えば笑うしかないよね的な、でもその時は悔しさと不安からもう、ずびずび泣いて廊下に立たされたことをふと思い出しました。……ってこれ、もしかしたら私の「教職に対する不信」の黎明だったのかもね。

そう考えたら、母はなかなか骨太な女性なんだろうな。私や弟を守らなければという使命感もあったと思うけれど、改めて「母は強し」を痛感しています。いつまでたっても、私の一番の憧れだったりして。

かたや私は、思いをこの場に書きだすことによって自分の気持ちを保つのに精いっぱいで。でも、彼はいつもと変わらない表情(=飄々として基本的にポーカーフェイス)で、気まぐれに「エアコンのフィルター、掃除しようかな」とかいって、ソファから身を起こしてこの時間に、さっきから掃除を始めています。手伝おうか? と言っても「大丈夫」。

……彼は彼なりに、気持ちを整えているのかもしれないな。

ということで、もろもろ書き出してみたら結構落ち着いてきました。文字に気持ちを乗せることって、本当に大事ですね。ああ、明日が来てしまう。でも、明日をやり過ごせば、もれなく明後日が来る。今日偶然見かけた動画で「超新星爆発」についての解説を観たのですが、あれ本当に人知を大幅に超えてて、尊いというかもう尊いなって。なんかさ、嫌が応でも大局的な気分になっちゃうよね。

明日・明後日はたぶん、wi-fiも入らない(入っちゃいけない)場所にこもるので、少しの間、noteを離れます。ですが、必ずまた戻ってきます。皆さんの投稿を楽しみにしています。そして、一刻も早く、またふたりでのんびりまったりと手を繋いで街を散歩できる、なんてことない日常が戻ってくることを目指して、明日はなんとか乗り越えてみせます。なんとかなるさ、だって私はなんといっても魔女の娘、そして何よりも「ふたり」でいるからね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次に記事を書く時には、読んでくれる皆さんに笑顔を届けられるような私得なネタになるハプニングか何かが、病院で起きないかなーとか考えてしまう不届き者な笹塚ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

では、行ってきます。おやすみなさい。