のようなもの

剥き出しの記憶を眼窩からぶら下げ

気の済むまでぷらぷらさせたならば

それが涙になるまで待ってひたすら

ごめんなさいをリフレインしようか

たくさんの手で解剖された認識が

優しい母の手で丁寧に調理されて

食卓へとスープとして出されます

テーブルは今日もとても穏やかで

だから喚きたくなるのでしょうか

例えばもしものつまらない話ですが

誰も知らない街で私が倒れたとして

誰からも認識されなければ果たして

私は倒れたことになるのでしょうか

倒れたという認識が誰にもないのに

そんなことを夢想するけれど

想像力は無限だと思いますか

抑圧により有限化しませんか

あるいは問いによって

解を強制されませんか

逆説的な事象を無碍に

怖がってはいませんか

生ぬるい風が吹きます

芽吹いた意識も歪んで

正しい方角へ向かうし

もうそろそろ覚悟して

おうちへ帰りましょう

母はセラミック製の包丁を手にニンジンのようなものをずっとずっと刻んでいるが私はその音のせいでもうずっとうまく眠れないのだ

けれどそもそもの話で

私はどこにもいないし

母は誰も写っていない

写真を胸元のロケット

にぶら下げてぷらぷら

明日も包丁をトントン

優しい食卓でらんらん

鼻唄まじりに待つのだ

(どこにもいない私を)

ただの暇つぶしとして

あるいは診断されない

寂しげなアイロニーや

桜色のスカートの裾の

ほんのわずかな糸くず

がほつれているみたい

やっぱりどこにも私は

いないみたいなのです

ただいま

おかえりなさい

おなかすいたな

さよなら