朝と灰

(1)

皆川先生が亡くなった。その一報をLINEで受けた夜、僕はタブレットにダウンロードした「ニューシネマパラダイス」を観ていた。トトとアルフレッドの熱い友情に名作の呼び声高い映画だが、僕にはいささか美しすぎるように感じられた。

「夜遅くにLINEになんて、誰から?」

ベッドから起き上がりもせずに淑子が問う。僕は、「知らない人から」とだけ答えた。

秋が冬に化けてゆく頃になって、同窓会の招待状が届いた。中学校で生徒会の書紀をしていた僕だったが、高校に進学して以来、ほとんど連絡を取る相手がいなかった。しかしなぜラインのアカウントが知られているのか、それは想像に難くない。情報だけが繋がりすぎる、何とも便利な時代だ。個人情報保護もなにもあったものではない。

そんなことよりも、皆川先生の訃報に接して1ミリも心の動かなかった自分に違和感を覚え、僕は半ば衝動的に『欠席』に丸をつけた。同窓会という名称に、馴れ合いのような臭気を感じたからだ。

(2)

僕は製薬会社で営業マンとして働いている。つい先日、上司から命じられた仕事はどうにも気が重かった。板橋区にあるメンタルクリニックへの営業だ。鬱病にてきめんに効くとされる薬が厚生労働省から承認され、上層部が社運をかけて販売に乗り出した代物らしい。

要は、いかにして医師にお近づきになって自社の薬を患者へ処方してもらうか、である。外来受付時間が終わるのを待って、僕はクリニックのガラス戸を開けた。

「お邪魔します。13時にお約束していますスズモト製薬の樫井と申します。柱谷先生はお手すきでしょうか」

僕は精一杯の営業スマイルを浮かべる。この瞬間、僕は自分をまた少し嫌いになる。応対したのは看護師らしき女性で、ニコリともせずにこう言った。

「院長なら、お昼を食べに出ましたが」
「そうですか」

よくあることだ。僕は心の中だけでため息をついた。

「では、また改めます」
「そうしてください」

そんな風につっけんどんに言われても、僕はクリニックを出るまで笑顔を絶やさなかった。我ながらよくやっていると思う。

コンビニで買ったサンドイッチにかじりつきながら、僕はクリニック近くの公園のベンチに腰掛けていた。風がやけに冷たい。凪いでいれば、黄色く色づいた銀杏が青空によく映えた風景を楽しむことができただろう。

気まぐれにビジネスバッグをあさると、タブレット端末と書類の間から、投函し忘れた同窓会の招待状が出てきた。投函すら面倒ということだろうか、と自問自答する。

『西山浜中学校2008年卒業生の皆さん! お元気ですか。集まりましょう☆』

同窓会を企画したのは、このはがきの差出人のようだった。名前には覚えがない。というより、興味がない。認識に一切引っかからないという意味では、この「青木隆弘」という人物は僕にとっては無害だったのだろう。

そう、無害か有害かという判断ができることは、あの中学校を生き抜くのに必要なスキルだった。空気を読み合い、相互に檻の中からはみ出ないように監視し、もしも出る杭があれば総叩きにする。

そんな中では、いかに自分を押し殺すかが重要だった。僕からすれば、学校とはさながら、卑しい処世術の習得場だった。

一体、何を学んだというのだろう。

(3)

結局、欠席の旨を伝えることができないまま同窓会の日がやってきた。出席の意向も伝えていないので当然、僕が参加することはなかった。僕はこの日も淑子と動画を観るなどして自宅で徒に時間を潰していた。

「そういえばさ」

淑子がふと思い立ったようにいった。

「『青木隆弘』って、祐太の知り合い?」
「え」
「Facebookの友人候補に表示されるの。でも、私の知らない人だから、てっきり」

僕は、いつもはスマートフォンの通知をオフにしているのだが、淑子の言葉に妙な胸騒ぎがして、Facebookのアプリを開いた。

久々に目にしたタイムラインは、同窓会の件でお祭り状態だった。いや、血祭り状態だったと表現したほうが正確かもしれない。名前すら記憶になかった「青木隆弘」なる人物と僕は、いつのまにか「お友達登録」をしていたらしい。

Facebookが爆発的に流行したときに流されて始めた僕のアカウントには、「お友達」の「お友達」として次々に繋がりがもたらされ、知りたくもないどこかの誰かの盛られた「現在」が縷々と垂れ流されていた。

すぐに目に入ったのは、土にまみれたガチャのカプセル。それは、僕の記憶のもっとも脆弱で浅ましい場所を揺さぶるのに十分すぎる画像だった。画像に添えられていた文言に、僕はめまいを覚えた。

「本当に出てきた。タイムカプセル」

やめろ。
やめてくれ。

自分が苦しくなるだけだとわかっていて、しかし画面をスクロールする指を僕は止められなかった。知らなければそれでよかったのに、どうして人はなにもかもを知りたがるのだろう。何もかもを知りたがって、そのうえで許されたがるのだろう。

スマートフォンの画面に映し出される、タイムカプセルの中身。中に入っていたのは写真だった。記事の投稿主である「青木隆弘」こそ、その写真に写っている人物だった。

思い出した。いや思い出さざるをえなかった。僕の記憶が間違っていなければ、「青木隆弘」は卒業前に他県に転校をしている。突然いなくなった青木に何があったかは、その後あの場にいた生徒たちがとった行動を見れば火を見るよりも明らかだった。

「いなくなっちゃったから、せめて埋葬してやろう」

誰が言いだしたかはもう覚えていない。だが、その言葉に呼応するようにその場に陋劣な空気が流れて、誰かが教室に貼ってあった行事の写真から青木の写っていた一枚を剥がし、誰かが学校に持ち込んでいたガチャのカプセルに押し込んで、誰かたちがげらげら笑いながら校庭の隅に埋めて――

(4)

突如思考に割り込んできたLINEの通知音に、僕は突然雷に打たれたような驚きを覚えた。背筋の凍る思いだった。差出人はまたも不明だった。恐るおそるメッセージを開くと、そこには皆川先生の遺骨が納められたメモリアルパークの住所と地図だけが載っていた。

その情報に導かれるように、僕は翌日そのメモリアルパークへ向かった。電車で1時間ほどの場所にあり、都内とは思えないほど豊かな自然に満ちていた。季節が季節なので、舗道には落葉がじゅうたんのように敷き詰められていた。

受付で墓石の場所を聞こうとして、皆川先生の下の名前を覚えていないことに気がついた。それでも、メモリアルパークの受付は「最近納骨された皆川さんですよね。たくさんお問合せをいただいております。Eの5区画16番です」と丁寧に教えてくれた。

指定された場所に行くと、「皆川家之墓」の墓石と、まだ新しい仏花が供えられていた。墓石の側面を見ると、『皆川孝輔 令和元年十一月十六日没 享年五十七』と刻まれていた。

数珠をもって手を合わせていると、また見覚えのない差出人からLINEが着信した。僕は墓石に一礼してからスマートフォンを手に取った。やけに長文のメッセージだったが、僕はそこに並んだ文言から目を離すことができなかった。

人間には二種類いると思う。自分のことなどいとも簡単に棚に上げられる類の足取りのやたらと軽い人間。と、自責の念という呪いに絡めとられて身動きできなくなってしまう類の不器用な人間。この二種類しかいないと思う。

忘却の彼方に青木を追いやっていたという点で、僕は前者だ。そして先生は間違いなく、後者だった。

僕は思わず天を仰いだ。晩秋のうろこ雲が滔々と青空を流れていた。