開かずの踏切、スカートの汚れ

久々に会う彼とこじゃれたカフェでディナーをするために、日もとっぷりと暮れた街を新しいスカートを履いて歩いていた。

遮断機のバーが降りはじめて、しかし私は走ることをしなかった。ワイヤレスイヤホンの右側が耳から落ちてしまいそうだったからだ。

真っ赤な警告灯が明滅する。電車が通過すればじきバーは開く。何も急いで渡ってイヤホンを紛失することもないのだ。

そのようにたかを括っていた私の目の前の遮断機は、一定のリズムでけたたましく鳴り続けている。私はそれを流行りのポップスで誤魔化そうと、イヤホンの音量を上げた。

私はある異変に気づいた。あるべき場所に、どちらから電車がくるかを示す、上り下りの矢印の表示がない。故障でもしているのだろうか。

それから何分ぐらい待っただろう。一向にバーが開かないどころか電車も通過しない。私はスマートフォンを取り出して、待ち合わせに遅れそうだと彼にLINEしようとした。

愕然とした。なんと電波が入っていないのだ。こんな街中で今どき、そんなことがあるだろうか。引き返すのが得策と判断した私は、遮断機のバーが上がるのをあきらめて踵を返した。

今度は驚愕した。私のすぐ後ろに、長い行列ができていたのだ。長蛇の列の先頭に私はいることになる。居心地が悪くてすぐに去ろうとした私に、行列に並んでいる人びとは異口同音に叫んだ。

「お許しください!」「お許しを!」

遮断機の鳴らす警告音が響いている。はて、この人たちはいったい何を言っているのだろう。

私が混乱していると、行列は数の力で容赦なく私を線路のほうへやってきた。私の体は強くバーに押し当てられる。バーがしなってひずんで、またしなった。

「わ、何するの!」

「お許しください、お許しください」

「ちょっと!」

私の抵抗に抗議するように、遮断機の警告音が大きくなる。警告灯もせわしなく明滅をする。私はついに耐えきれずに線路に投げ出された。

その途端、行列に並んでいた人びとはおとなしくなって、皆目を閉じて手を合わせだした。警告音は相変わらずリズムを保っているが、いかんせん耳をつんざく音量だ。

よろよろと体を起こしかけたとき、私の視界の片隅に信じられないものが飛び込んできた。間違いない、電車のヘッドライトだ。私は這々の態で線路から逃れようとした。

行列のいないところへ、少なくともとにかくこの場から必死に逃げ出さなければならない。「必死に」とは、なんと皮肉な表現だろう。

線路にかすかな振動を感じた。それは加速度を上げて大きくなっていった。私は咄嗟にダンゴムシのように脚を引っ込めた。甲高い金属のこすれる音と遮断機の警告音に、たまらずに目をきつく閉じた。

激しく軋みを上げながら、見慣れたオレンジ色の列車が通過していく。やがて轟音が去ると、私はまず自分の体の無事を確認した。この日のためにおろしたスカートが台無しだったが、そんなことはもうどうでもよかった。

それから遮断機を見た。電源の切れた玩具のようにぴたりと、警告灯と警告音は止んでいた。何事もなかったかのようにするりとバーが上がって、やはり何事もなかったかのように行列に並んでいた人々が往来をはじめる。

何が起きたんだ?

私がようやく身を起こしても、行列は誰も興味を示さない。スカートについた砂を手で払っていると、スマートフォンが鳴った。彼からだろうか。

画面を見ると、見たことのないアプリからの通知だった。

【お知らせ】
開かずの踏切を開き、多くの人の気を済ませた功績を称え、ここにあなたを神と認定します。

スカートについた汚れは払ってもなかなか取れない。せっかくのデートだったのに。

そんなことより、どうやら私は神になってしまったらしい。通り過ぎていく無表情な人々を眺めていると、そうか私はこの人たちをすべて許したんだな、と理解した。理解せざるをえなかった。だって私は、神だから。

遮断機を見上げた。消灯した警告灯のランプが、にやりと笑った気がした。右側どころか左側のイヤホンも、いつの間にか失くなってしまっていた。