戒飭——愛の作法

貴方からの戒飭かいちょくは、愛だと思っていた。疑う余地は一切なく、只管ひたすらに僕は、貴方の愚かな信奉者であった。

このことを過去形で語るのは、綻びを是としない認識を今や僕が忌避しているからだ。貴方が春風を連れてくるならば、僕は全身全霊でそれを阻止する。

なぜなら、僕こそが綻びであった。貴方の愛は、綻びを縫うに足りなかった。つまり、貴方の創りあげたこの世界を唯一穢すのが僕という不完全な存在だった。

なぜ人間は愛を求めるのか? その恒久的な問いに暫定で答えを出す。それを導くのは、皮膚を貫くほどの寂寥と嫉妬と羨望である。愛を求めるのはこれらが人間と不可分であり、愛には一切の代替手段がないが故だ。

貴方は確かに僕に与えた――有限の命を! 生への執着を! 思い出ばかりが美しいのは、それが二度と検証されるとのない偶像だからなのだろう。

貴方は僕を求めない。僕は、この冬という閉じた季節ときにずっと居たかった。木々は枯れ、落ち葉たちが腐食し、命という命が息を潜めるこの季節に、己の存在を曖昧にしてしまいたかった。

愛されないとわかっていたなら、初めから貴方を求めたりしなかったのに。

「愛される前に、愛しなさい。」戒飭――愛の「作法」

僕はやがて巡りくる春を拒絶するために、芽吹きという芽吹きを口に含む。嚙みちぎるその瞬間の感触にのみ、僕は貴方を感じる。目の奥がつんとする。胸元に一瞬、冷たさが走る。

貴方からの戒飭を踏みにじった罰として、きちんと僕は自由と尊厳を奪われている。空に虹がかかっても、ふくよかな雲から雪が舞っても、澄み切った蒼天が広がっても、僕は常に強く、深く、きつく、祈ることをやめない。届かない祈りは、ただの独言と理解していても。

僕が踊れば、言葉を紡げば、絵を描けば、歌を歌えば、春を待つ主流の認識たちは、それは易いとケタケタ嗤う。世に笑顔の溢れる。その光景は、軽薄さと尊大さが正比例する僕には、心から相応しい。

貴方は絶対という概念すら介在させず、それ故に僕に相対化を許さなかった。あらゆる誹謗の言葉は僕を示すためにあり、僕は襤褸ぼろを纏った哀れで凶暴な――幸と不幸の分水嶺に猛毒を垂れ流すような――受動態として、春が認識に安寧を与えないよう、貴方にとって僕がかけがえのない絶望であれるよう、ああ、どうか僕に、まるで愛のような幻想を見せて下さい!