タグ: 生きづらさ

  • 短歌 こめかみ

    1
    慟哭を胸の奥底に閉じ込めきみはいちごを最後に食べる

    2
    ジャムもいいそのままもいいあれこれを間違えたってきみは正しい

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    こめかみに居座る声に狼狽えて「誰か」と呼べば私がいるよ

    4
    抱きしめる天に中指突き立てて笑われていたあの日の私を

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    煩悩を超えているから109 嘘だとしてもなんか嬉しい

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    選択肢にない答えを書き連ね今は概ねゴキゲンである

    7
    気にしたら負けなんだろう? 幸せかどうか気にするのはやめられそう?

    8
    先生は真面目にやれと言ったけどうまくやれって背中にあって

    9
    断末魔だったらいいな。あの人のこの人のその人のあなたの

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    「カスハラ」はカスによるハラスメントじゃないってのは知ってんだけど

  • 短歌 BY AIR MAIL

    1
    生真面目に首を振ってる扇風機に人さし指を深く突っ込む

    2
    お手紙を書いてみました彼岸には BY AIR MAILで届きますか

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    適切に検討しますしっかりと議論を重ねあとは知らない

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    「満月はよつ葉バターのパンケーキ」戯言だから聞き流してよ 

    5
    打ち破れそうになくても爪痕は遺してやるよ十円玉で

    6
    凪ぐ夜は星が目玉になるせいできみの返事は半音下がる

    7
    そばにいるたとえあなたが拒否してもいびきかいてもこの先ずっと

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    お湯が沸く殺意を殺すきみのため三分待ってご飯にしよう

    9
    光から逃れてふたり笑えない夜があっても手は繋いでる

    10
    来年の話をすると笑うならいくらでもするどうか笑って

  • 眠れない夜に揺れるフェイクパールのピアス

    「眠れない」

    彼のその一言で、深夜のサイゼへ繰り出すことになった。玄関を出てすぐ、師走の冷えきった空気が頬を鋭く刺したから、ああ、ちゃんと冬なんだな。なんて当たり前のことを、しみじみ思ったりした。

    サイゼが24時間営業を廃止するらしい。これは行きつけの店舗に限ったことではなく、本社の方針だそうだ。確かに、深夜にイタリアンをがっつり食べる人なんてあまりいないだろうから、採算が取れないんじゃないかとは思っていた。

    私たちもまた、こんな時間にミラノ風ドリアと小エビのカクテルサラダを求めるという点に象徴されるように、採算で表すなら大赤字の人生を送っている。

    金もない、学もない、これといった才能もない。かといって眠れないからという理由で深夜にサイゼに行く程度には清貧でもない。ないないづくしの生活だけれど、それに不満さえない。あるとしたら、世界から置いてけぼりを食らい続けているような、ぽかんとした空洞、だろうか。

    学生と思しき茶髪の男性が、やや疲れた表情で私たちのオーダーした料理を運んでくる。その店員だけではない。深夜のサイゼに居る人たちは、みんな疲れている。もちろん、私たちだって例外ではない。

    サラダを取り分けるためのフォークで小エビをつっついていた私に、彼はようやく口を開いた。

    「その絵、知ってる?」

    私の背後の壁には、豊満な体つきの女性が大きなホタテ貝の上にいる絵画が飾られていた。美術やら歴史やらに疎い私だけれど、これはさすがに知っている。高校の教科書に載っていたから。

    「『ヴィーナスの誕生』だよね」
    「そう。サンドロ・ボッティチェッリの作だよ」

    彼はミラノ風ドリアのど真ん中に、スプーンをすとんと挿し入れた。

    「実はその絵には、改ざんされた部分がある」
    「えっ?」

    彼はスプーンで焦げ目のついたミートソースを剥ぎ取り、その部分だけを器用に集めて、ぺろりと平らげてしまった。その部分にホワイトソースとライスとを絡めてこそのミラノ風ドリアなのに、なんてことをするんだ。

    私の抗議を全く相手にせず、しかも目を合わせることすらなく、彼はしばらく口をもぐもぐと動かしていた。私は悔しさのあまり、サラダの小エビを全て自分の皿に載せかえた。

    ようやくミートソースの塊を飲み込んだ彼は、グラスの水を一気に飲み干した。

    「サンドロ・ボッティチェッリが描いたヴィーナスは、滂沱の涙を流していた」

    私はぎょっとして、背後の「ヴィーナスの誕生」(のレプリカ)を改めてじっと見た。ヴィーナスの右隣に、彼女へ薔薇のマントを差し出している女性が描かれている。彼曰く、彼女は「ヴィーナスの従者である春の女神」なのだそうだ。

    「春の女神は、ヴィーナスの裸体を隠すために待ち構えているんじゃない。大量の涙を拭うために、あんなに大きな布を携えている」
    「どうして、ヴィーナスは泣いていたの?」
    「あらゆる苦痛を引き受けていたから。ヴィーナスの涙は、真珠と同じ意味を持ってこの世界に現れたんだ」

    そうして彼の口から滔々と語られたのは、「人工的にあこや貝に真珠を生み出させる方法」だった。

    あこや貝は、閉ざした口を無理やりこじ開けられ、核石と呼ばれる小石の欠片を外套膜という部分まで挿しこまれる。このときに大変な苦痛を味わうという。人間で喩えるなら、麻酔なしで腹部を切り裂かれ、その中にごつごつとした石を押し込まれるようなもの。

    異物を埋め込まれたあこや貝は、海中深くへ沈められ、その半数は生存すら叶わない。

    核石という異物を自力で吐き出すことができないあこや貝は、分泌液を出し続ける。これが、あこや貝にとっての「涙」だ。外套膜の外側上皮細胞が軟体組織内に入り込むことで真珠袋が形成され、「涙」が結晶して層状に成長していく。やがて、異物というあこや貝にとっての「苦痛」が丸みを帯びていく。

    つまり、涙で包み込むことで、あこや貝は苦痛を己の一部にするのだそうだ。

    「ああ、なるほど。『痛みを輝きに変える尊さ』的な?」

    私のその見解は、しかし彼の眉間に深い皺を刻ませた。

    「本来、あこや貝が自然に真珠を生むのは奇跡の領域だった。奇跡を人為的に起こすことで、何が犠牲になってる? あこや貝の味わった苦痛と、それに耐えて流した涙の意味なんて知りもせずに、ただ真珠の美しさに手を伸ばす人間たちは、当然ながら罰を受けることになった」
    「罰って?」
    「ヴィーナスから涙を奪ったから、愛には必ず苦痛が伴うようになってしまった」

    私はハッとして、サイゼの店内を見渡した。

    くたびれたスーツ姿で船を漕ぐサラリーマン、安価なワインで酔っ払って互いをべたべた触り合うカップル、テーブルに積んだ書籍に目もくれず激しく貧乏ゆすりをしながらスマートフォンを凝視する学生、真冬なのに露出度の高い服装をして緊張した面持ちで背筋を伸ばしている若い女性と、その対面でその女性を舐めるように見ている黒いスーツに金色のネックレスを着けた男性。それから——あらゆる居場所から排斥された彼と、そんな彼と共にいることを選択した私。

    ここには、疲れ果てた者しか存在しない。愛が包含する苦痛を感受してしまう存在にとって、深夜のサイゼとは一種のシェルターなのかもしれない。

    「見たいものだけを見て、都合の悪い本質から目を逸らし続けていたほうが、生きやすいんだろうね。あくまで一意見だけど」

    ミートソースを剥がされたドリアはすっかり冷めていたようで、彼はスプーンで残っていたライスをかき集めると、あっという間に平らげてしまった。私ももちろん、小エビを一匹たりとも彼にあげなかった。

    サイゼを出てからしばらく、底冷えする深夜の街をふたりで深海魚のように彷徨った。行く先がわからない、特に決めていない、その不確かさが心地よかった。

    彼がするりと手を繋いでくる。だから私もするりとその手を握り返す。寒いのなんてわかってるから、息まで白くなることなくない? ほんとだね。そういえばさ、なんか「生きづらさ」って言葉、すっかり市民権を得たじゃん。あー、大切な言葉ほどすぐに手垢にまみれちゃうね。自分が天使だって気づかないままの人が増えた可能性は? 否定はできない。ないとはいえない。なくはなくはない。ふーん、そっか。なんだか偉い人の言い逃れみたいで、みっともないなあ。まあ、天使にはちょっとしんどい世界だからね。うん。人間は、これから加速度を上げて、たくさんのものを失っていくよ。知性なんて、じきになんの価値もなくなるし。うわ、まじか。人間は思考を放棄して、快楽のみを求める葦になる。え、それ葦に失礼じゃない? そうかも。ねえ、空気が冷たいほうが夜空の星ってきれいにみえるじゃん。でも、こんなに寒いのに、流星群を見るためにわざわざベランダに出るとか、どうかしてるよね。真夜中にサイゼでドリアのミートソースだけこそげ取るのと同じくらい。同意。あそこにいる人たちは、みんな天使だって気づいてた? うん。そっか。それより、今月の家賃って引き落しできたのかな? わかんない。でも、たぶん、大丈夫。たぶん、か。うん、たぶん。そうだね、それがちょうどいいね。うん。ちょうどいい。

    サンドロ・ボッティチェッリもまた、天使だった。他ならぬ彼がそう言うのだから、間違いない。

    歩き疲れた頃、大通りから一本奥まった道沿いに児童遊園を見つけた。木製のベンチめがけて小走りして、せーので座った。想像以上にお尻がヒヤッとしたものだから、私たちは笑いあった。笑い声がやんで、ふと私たちは見つめあった。

    ——どんなに拒絶しても、愛という名の苦痛からは決して逃れられない。

    彼が私の頬に触れる。その指先が探り当てたのは、いつか吉祥寺の雑貨屋で買った、フェイクパールのピアス。気まぐれな小夜風に、私の鼓動と揺れている。

    fin.

  • 短歌 オービス

    1
    落ちている小鳥へ向ける祈りあり雑踏に溶けるきみの視線は

    2
    祈りますきみがそのままきみらしく私を殺したくて在ること

    3
    約束は生きていくよの宣言だオッケー、みんな死ぬまで生きろ

    4
    ささくれのたったひとつも許せない夜が果ててもまた夜になる

    5
    くちびるの皮を舌先でなぞってこれが剥けたら家に帰ろう

    6
    星を食べ灯りを消して眠るきみ優しさだけを言葉にできず

    7
    オービスを睨み返した夕まぐれ誰の溜飲を下げたんだろう

    8
    迷惑をかけたくない と 迷惑をかけちゃダメ とは混ぜるな危険

    9
    ざまあみろって言いたい人がいるけれどパケットがもう底を尽く

    10
    多数派が常に正しくあるのなら……翌朝、布団にシワシワミッキー

  • 短歌 メトロノーム

    1
    伏線の回収業はオプションでどんな帳尻でも合わせます

    2
    身を守るためにまとった繭なのに暗い冷たい寂しいくさい

    3
    トラウマが疼いていても言い訳にだけはしないよ 頬に木枯らし

    4
    たぶんまだ気づかれてない煩悩だネイルオフした夜のポテチは

    5
    フラミンゴあんたが嫌いピンク色なんて嫌いだ嫌いだってば

    6
    一袋また一袋減っていく袋ラーメンお前が遠い

    7
    絶望をする価値もないこの脚で地を踏みしめて空き缶を蹴る

    8
    雨じゃない降っているのはおやすみを言えない夜の思考よ止まれ

    9
    好きでした愛してました過去形はいつも乾いた風を吹かせる

    10
    もうひとつ作ってみようか宇宙をメトロノームを買ってくるから

  • 短歌 だめなひと

    1
    だめな人がこのクッションに座ったらちゃんとなれると思って買った

    2
    あれは星? それとも人工衛星? どちらにしても消えてゆくけど

    3
    絶望をする価値もないこの脚で地を踏みしめて空き缶を蹴る

    4
    雨じゃない降っているのはおやすみを言えない夜の思考よ止まれ

    5
    好きでした愛してました過去形はいつも乾いた風を吹かせる

    6
    もうひとつ作ってみようか宇宙をメトロノームを買ってくるから

    6
    星を食べ灯りを消して眠るきみ優しさだけを言葉にできず

    7
    オービスを睨み返した夕まぐれ誰の溜飲を下げたんだろう

    8
    迷惑をかけたくない と 迷惑をかけちゃダメ とは混ぜるな危険

    9
    ざまあみろって言いたい人がいるけれどパケットがもう底を尽く

    10
    多数派が常に正しくあるのなら……翌朝、布団にシワシワミッキー

  • 短歌 雨になる

    1
    土曜日があなたのせいで雨になる好きにならないわけないだろう

    2
    癒されてほしくない傷だってある生々しいと美味しそうでしょ

    3
    風船は割れてはじめて風船を欲しがった日に音符を添える

    4
    燃え盛るほどに心は弱くなる焼き場でババイトしていた頃ね、

    5
    解禁を待ちわびるほどボジョレーにコミットしない我々である

    6
    逃げていい 言われたけれどどうやって海馬を初期化できるんだろう

    7
    アカシックレコードからも消し去りたい宇宙のひみつ。初恋の人。

    8
    発熱を熱暴走と認識しアイスノン攻めにするのはやめろ

    9
    おでんって総合芸術だと思う はふはふ囲むふたりうなずく

    10
    湯船には神も浸かっているんだな温泉なんて極楽だもん

  • ふたり/中指

    雪解けは終わりの合図、春
    そしてきみは言うんだ
    「はじめまして」って


    笑顔が似てきたね、と藍子に言われて以来、ときどき鏡に向かって笑ってみる自分がいる。夫婦は似るものだとよく言われるけれど、私たちも例外ではないようだ。

    「では、あなたはご自身のアイデンティティの一部として病気を認識しておられると?」

    灼熱の真夏、クーラーの効いているはずのコーヒーショップの一角が、やけに居心地悪く感じられた。私は「精神保健に関するインタビュー」として大学生から話を聞かれている。

    この女子大生は精神保健福祉士とやらを目指していて、卒業論文のテーマが精神障害者の生活に関することらしい。ふわっとしか覚えていないのは、私がそれに全く興味がないからだ。

    アイスコーヒーも飲み終わってしまったし、そろそろ解放してほしい。日常生活や仕事のこと、さらには発病当時の様子や入院経験について、根掘り葉掘り尋ねられた。もう出すネタはないというほどに話したのだから、相手の気も済んだだろう。

    そう思っていたときに投げられたのが、先ほどの質問だった。——アイデンティティ? 病気が?

    「でもそれって」

    私の返答を待たずに、その大学生が話しだす。

    「ちょっと無理があるっていうか、美化してるなって正直思います」
    「そうですか」
    「だって、治療が必要なんでしょう。病気は病気なわけで」

    こういう思考回路の持ち主でも、マークシートを塗り潰す国家試験をパスすれば立派な「専門家」になるのだろう。私はコーヒーのグラスを軽く指で弾いた。汗がひたいに浮かんだ。

    大学生はさらに「障害は、障害なわけだし」と加えた。

    私は席を立って、「卒論、頑張ってください」と言い残して去ることにした。大学生は、言いたいことを言いたいだけ言っておきながら、恭しく首を垂れた。わざとらしいなと思うのさえ、面倒に感じられた。


    「……ってことがあってさ」

    ことの顛末を話すと、藍子はため息をついて「ごめん」と謝ってきた。

    「ウチのゼミ生が、とんだぶっ迷惑かけました」
    「いや、もう別にいいんだけど、一応報告しておこうって思って」

    藍子は若くしてとある大学で教鞭を取っている。ゼミ生のなかで精神保健福祉専攻の学生がいて、ぜひ障害当事者の生の声を聞きたいとのことで、友人である私に白羽の矢が立ったのだった。

    「確認の意味も込めて、査読にも協力してもらえないかな」
    「えー、それって聖域じゃんそんなの」
    「そんなかっこいいもんじゃないって」

    私が承諾すると、藍子は「サンキュ」と言ってからため息をついた。苦労が多いんだろうな。


    一連の出来事を夫に話すと、夫は「ふうん」と淡白な返答をした。

    「その学生は、要は資格がほしいんでしょ。資格を取って何がしたいのかじゃなくて。典型的な『手段の目的化』じゃないか」

    一刀両断。夫には容赦がない。あの女の子、インタビューしたのが私でまだ良かったかもしれない。

    「病気がアイデンティティの一部? 専門家が好みそうな表現だね」
    「なんかさ、言い返すのも暖簾に腕押しかなって、虚しくなっちゃったんだ」
    「だろうね。わからない人にはどうあがいても一生わからないものだから」

    それは、確かにそうだ。何々論だか何々学だかをどんなに修めたところで、実際その感覚というか世界というか、視界というべきか、それらを解することなどできない。

    そもそも、「それ」はアイデンティティの一部に収まるようなシロモノではない。よくわからない薬をしこたま飲まされて、ようやく制御できる(ような気がするだけの)化け物のようなものだ。

    医師も家族も、その異常性にしか着目しなかった。ひとりの人間として「それ」に囚われるに至った苦悩や葛藤があることに、誰一人寄り添ってくれなかった。

    孤独は「それ」の好物だ。私は病室のベッドで白い天井を見つめる日々を、夫は保護室と呼ばれる隔離部屋の灰色の壁を力なく叩く日々を強いられた。

    けれど全部、昔話だ。決して笑って話せる日は来ないのだけれど。

    孤独ひとりと孤独ひとりが出逢って——ふたりになった。モノクロの日々が、少しずつ色彩を取り戻していく。私たちはまさに今、その途中にいるのだ。


    インタビューを受けてから数ヶ月後、卒論の口述試験があると藍子から連絡をもらった。さすがにその場に行くことはできないが、件の卒論のサマリーをメールでもらうことができた。

    障害当事者は病気にめげず、医療や支援者によって、自分らしく社会で生きることもできるのです。私はその可能性を広げる一人になりたいと考えています。

    「精神障害当事者の声から考える」吉沢香代

    案の定、ため息すらためらわれる内容だった。この吉沢という子には悪意はない。だから余計に、気が滅入った。

    藍子には申し訳ないが、査読は断った。調子を悪くしてしまいそうだったからだ。

    あのよくわからないインタビューから季節はずいぶんと進んで、春を待つ時季となった。春先は精神的に調子が崩れやすいとされている。あまたの命が蠢くせいだろうか。

    夫が連絡もなくなかなか帰ってこない日があった。仕事が長引いているのか、誰かと食事にでも行っているのだろうか。LINEの一本もくれたらいいのに、と思ったが、ふと冷たくぴんとした予感がした。考えるより先に、私はスニーカーに薄手のコートを着て外へ出た。

    自宅マンションのすぐ近くを、一級河川が流れている。「あ」と私は声を出していた。

    河川敷にうずくまる影。見間違えるはずがない。

    「なにやってるの」

    私が声をかけると、きみは両目をぎょろりとこちらに向けて、怯えきった声でこう言った。

    ——はじめまして。

    だから、私も応じる。

    ——はじめまして。

    そうして、手を伸べてきみの頬に触れる。その手をきみは冷え切った手で握り返す。

    「おかえり」

    きみは「死にたい」とつぶやく。私も「そうだね」とつぶやく。

    これが、私たちの日常なんだ。そうたやすく論文になんてされてたまるか。知った顔をされてたまるか。私は、いやふたりは、夜空に向けて中指を立てる。

  • 短歌 終点

    1
    突っ走る特急が万が一終点で止まらなくても構わないって

    2
    くたびれて肩に頭を置いたなら終点なのにきみは動かず

    3
    ありがとう、みんな大好きだよ。なんてフラグっぽいから絶対言わない

    4
    万が一死亡フラグが立ったならその折り方を教えてくれよ

    5
    師走入りいて座のきみは誕生日近いことなど気にしていない

    6
    結局は異物としてのきみである眠たくなったら私は寝るよ

    7
    おきてる? とせっかくきいてくれたのに いきてる なんて答えてごめん

    8
    癒えてなどくれるなきみがつけた傷いまは私の生きる原因

    9
    だめな人がこのクッションに座ったらちゃんとなれると思って買った

    10
    自傷って死なないためにしてるのにわかる奴だけわかればいいよ

  • 短歌 誘蛾灯

    1
    見守っているとあなたは仰るがそれは見張りとどう違うのか

    2
    パレットに黒と白しかないなんてその身に巡る血を思い出せ

    3
    素数より美しいものを知らないこの人生は上々である

    4
    誘蛾灯ぜんぶ折ってもいいですか許可されなくても折るんだけどね

    5
    群れているわけですらないあの蛾らは鱗粉に見惚れることはない

    6
    誘蛾灯ほらほら僕が群れている影も落とさず僕だけがほら

    7
    画用紙の横でカレーを食べている予定調和の悲劇は喜劇

    8
    光らない蛍も好きと言えますか不可視なものは嘘をつかない

    9
    燃え盛るほどに心は弱くなる冷たかったら愚にもつかない

    10
    ラジオからちゃんと聞こえたSOS=ノイズまじりの愛の告白