第十三話 過日の嘘(六)声
美奈子が小鳥のさえずりで目を覚ますと、心地よい日差しが簡易ベッドの足元に差し込んでいるのが見えた。こんな優しい光は、久しぶりに見た気がする。まるであたたかかった祖母のひざの上のようだ。 美奈子はその光に触れようと、体を起…
美奈子が小鳥のさえずりで目を覚ますと、心地よい日差しが簡易ベッドの足元に差し込んでいるのが見えた。こんな優しい光は、久しぶりに見た気がする。まるであたたかかった祖母のひざの上のようだ。 美奈子はその光に触れようと、体を起…
美奈子がいなくなったことに混乱した裕明が「白い部屋」を飛び出し、そのまま院内のあちこちを彷徨っていたのと時を同じくして、入院棟の夜勤を担当していた看護師たちがある異変に気づいていた。夕飯を配膳しようとしたところ、件の男性…
岸井の気持ちを落ち着かせようと、木内は「深呼吸を」と彼女に促した。 「裕明に特段、おかしな様子はなかった?」 「野暮なこと言うのね」 「え?」 「『おかしい』って、まるでどこかに『おかしくない』って定規があるような言い方…
「知らない場所って?」 知らない。知らないから、知らない。 「何が見えたの?」 大きな木。その根元に僕らはいるんだ。僕らは寄り添っていて、でも見つめあうわけじゃなくて、同じ空をずっと見てる。 「どんな気持ち?」 わからな…
何をもって何を「不幸」だとか「悲劇」などと「誰が」決めるのだろう。ある「ものさし」で測ろうとすれば、今、美奈子の目の前に広がっている光景は「異様」とされるのかもしれない。 だが、木内にシャンプーを施されているその青年は穏…
先ほどまでの鋭い眼光はどこへいったのか、青年はあどけない表情で自身の両腕を無邪気に美奈子に絡ませてくる。 「ねぇ、おねえちゃんは、ぼくのおともだち?」 「え……」 「あっ!」 青年は目を輝かせて、湿り気のある風の入ってき…
青年は強引に美奈子の腕を引っ張り、獣のように鋭い眼光を彼女に突きつけた。美奈子の額の汗と血の気とが、一斉に引いていく。 「こんなところに、何をしにきた……」 先ほどまでの透明感のある声とは打って変わって、低いうめき声で青…
青年は美奈子のほうを一切見ることなく、ひたすら鏡の破片を集め続けている。その姿は月夜の浜辺で貝殻を集める寡黙な詩人のようだ。 美奈子が扉のそばで立ちつくしていると、青年は相変わらずうつむきがちのまま、こちらに話しかけてき…
奥多摩よつばクリニックは、消毒液と汗の混ざったような病院独特臭いはまったくしない。それどころか、木造ならではの心地よさをそよ風が助けて、気持ちが安らぐような心地すらする。 美奈子はしばらくの間、入院病棟へと続く廊下の壁に…
「いやー、最後の一球は本当に惜しかった。絶対あれストライクゾーンだったでしょ。あの程度の当たりだったら、僕があと十歳若かったら余裕でキャッチできてた」 「ソフトボールがタイブレーカーじゃなかったら、絶対に逆転してたよね」…