第九話 教会

高速道路を、制限速度を若干超えて飛ばした。俊一は黙ったまま、運転を続ける。征二はぶつぶつと何かを唱えている。 「再会の日には、贄が必要なんだ……捧げられたのは、黒い羊さ」 いつもの、といえばいつもの征二だ。 「嘘つきは贄…

第八話 灰になる

病棟が、燃えた? 翌日の朝、その一報を電話で受けたとき、俊一は横目で、朝風呂上りにソフトクリームを食べている征二を見やった。 ……どう伝えたら、いい? 俊一が逡巡していると、ふと、征二が言った。 「俺、こんなうまいソフト…

第七話 温泉

一線を越えてしまった者たちの、悲しい歌が聞こえる。彼は言う、『狂うことでしか、生き延びられなかったのだ』と。 そう、狂気に身をやつすことは、彼にとって生きるための手段だったのだ。なぜなら、狂わなければ、彼はきっと「生きら…

第六話 一歩

その場に、重苦しい沈黙が降りる。出されたお茶も冷め切ってしまった。 俊一は促すようにもう一度、滝崎に手紙を征二に見せるように言った。征二はしばらく無言で手遊びに興じていたが、ふと言葉を漏らした。 「虹は、どこ?」 「征二…

第五話 手紙

彼の眼は爛々として、すでに既存の世界を映していない。彼が望んだ世界が、目の前に広がる。それは、背筋が凍るほどに美しく、また残忍だ。 「ふふふ…………」 時刻、午前3時。彼だけが認識しうる世界で、彼はどこまでも幸せなのだ。…

第四話 ライオン

新緑のむわっとした生命の匂い。彼は花壇の横に設えられたベンチに腰掛けて、深呼吸をした。 「皐月、か」 かつて、彼と彼の愛する人が儚い永遠を誓った季節。彼にとっては特別なときだ。箱庭の外ではバラも美しいだろう。あの日、確か…

第三話 エラー

あの日、夏の日差しを照り返した白球は、虎谷幸広をあざ笑うように飛んでいった。試合終了のサイレンがワンワン鳴っている中、泣き崩れるチームメイトを横目に、幸広は不思議な気分でマウンドに立っていた。 あ、終わったんだ。 毎日汗…

第二話 有理関数

工藤征二の朝は早い。起床時間より一時間も前にデイルーム(患者が日中を過ごす場所) 入口で本を読みながら、鍵が開くのを待っているのだ。その日の宿直の高橋美和は、不眠を訴えてナースステーションに来た女性の対応をしてから、扉越…

第一話 キランソウ

第一総合病院精神科病棟。その晩、デイルームのテーブルの上には青い花が飾ってあった。高橋美和は夜勤で眠い目をこすりながら、時々ナースステーションからそれを見た。 とても気持が和んだ。かわいいもの好きな美和だから尚更だ。花な…

プロローグ 彼女の涙

彼女は一人泣いていた。 どんなに堪えても、あとからあとから涙がこみ上げてくる。 ……どうして。 誓ったはずなのに。あの日、確かに、誓い合ったはずなのに。 無情にもタイムリミットはやってくる。 彼女は、一人、その場を後にし…