夕暮れを美しく感じるわけ

夕暮れがなぜあんなにも美しく、人の心を揺さぶるのか考えてみた。
朝焼けとはまた違う、「ずんずん」と心を直撃するような、「重さ」のようなものを感じるのだ。

***

夫がしばらく出張のため、久々に実家に帰った。実家は千葉県のベッドタウンで、都心からも比較的近い。実を言うと、職場には実家からの方が近いという(私は東京の西の隅っこに住んでいる)、不思議な「距離感」の中で暮らしている。
「おかえり」
実家のドアを開けると、母が台所で夕飯の支度をしながらそう言った。私は少しだけ戸惑ってから、
「ただいま」
と返した。
おかえり、か。私はここに「帰って」きたのかな。どうなんだろう。
居間では父が、足の爪きりをしながら、テレビを観ていた。その背中はずいぶんと小さくなったように思う。
母は明るい表情で、
「お疲れ様!」
パタパタと私の通勤カバンを持った。
「なんでこんなに重いの?」
私は、少しはにかんで、
「書類とか、タブレットが入っているから」
と答えた。
夕飯は私が昔から好物だった炊き込みご飯だった。しかし、母が言うには、
「味付け、間違えちゃって」。
確かに、慣れ親しんだものより、味が薄い。
私は食卓に並んでいた昆布の佃煮を一口食べた。
「これと一緒だと塩加減がちょうどいいよ」
「あ、本当だ」
父は静かに箸を進めている。食べるのが早いのは相変わらずだ。
私が茶碗を空にすると、父は一言、
「おかわり、あるぞ」
と言った。
正直、満腹だったのだが、考えるより先に
「ありがとう」
と応える自分がいた。
強く思う。どんなに年老いても、親には親でいてもらいたい、ということを。私自身がすでに結婚し、「生意気でワガママなあなた達の娘」ではなくなったというのに、なんて身勝手なのだろう。
でも、やはり、弱ってゆく親を見るのが辛くないといったら、嘘になる。
もしも、万が一のことがあればいつでも頼ってほしい。そう伝えてはいるけれど、それでもどうか、あなた達はあなた達の人生を謳歌してほしい。そう願う。
散々、心配と迷惑をかけた娘からの、精いっぱいの「ワガママ」だ。

***

帰りの通勤電車の中から、東西線が地上に出て川を渡る時、恐ろしいくらい、美しい夕暮れを見た。
傾いてゆく太陽。近づいてくる、終わり。それは、「ずんずん」とゆっくり、しかし確実にやってくる。
……そっか。
だから、夕暮れは美しいんだな。