私の住む地域では昨夜、遅くから雨が降りました。
7時頃、夫が帰ってきました。いつもより少し遅めだったので、残業かと聞いたら、
「ちょっと、いろいろあってね」
と濁すので、
「『ちょっと』って何さ?」
と私が突っ込んだところ、なんと夫の職場のドアに、事務所の営業が終わる5時の少し手前に、鳥がぶつかってきたというのです。鳥はその場で気絶してしまったらしく、動かなくなってしまったそう。最初は鳩か何かかと思い、道路の近くだったこともあり、別の職員がスコップでそっと運んで、事務所の裏手の敷地、少しだけ高くなっている場所にその鳥を置いたのだそうです。意識こそなかったものの、呼吸を確認できたので、その場にいた人たちは気絶と判断したらしいのです。
それで、その鳥は鳩ではなく、なんとフクロウかミミズクの赤ちゃんだったというのです。恐らく野生で、いわゆる巣立ちビナだろうと。野生だから下手に人間は手出しせず、車の往来の多い道路から移動しただけで充分だろうと。
その話を聞いた私は、居ても立っても居られなくなってしまい、ビニール手袋とマスクをポケットに詰めると、夫にも同様の装備を促し、家を飛び出しました。
「ちょっと、心琴⁉︎」
夫が驚いた表情で後を追ってきます。私は今にも泣き出しそうな重たい雲の垂れこめた夜空の下、夫の職場へと急いで向かいました。私の家からは、徒歩で10分程度です。
その途中、思い立ってコンビニに寄りました。お茶を一本買ってから、店員さんにこんなお願いをしました。
「30×40×25cmくらいのダンボール、あったらいただけませんか?」
その店員さんは恐らく高校生か大学生のアルバイトさんだったのですが、忙しい中にもかかわらず、快く探してくれ、ちょうどいいサイズの箱を持ってきてくれました。感謝です。
そして私は事務所の裏手にまわると、スマホのライトを起動させて捜索を始めました。ヒナを置いたという場所にその姿はなく、そのすぐ下、自転車置き場の隅っこに、こんもりとしたふわふわの羽毛を発見しました。
「いた!」
「心琴、すぐライト消して。あの類の鳥は夜行性だから」
「あ、うん」
「そのダンボール、どうするの?」
「この中に入れてあげる。ぶつかった時にケガして飛べなかったら、その辺の猫に襲われちゃうから」
「どうやって入れるの?」
「スコップで。ダンボールの中には、できれば要らない新聞紙をくしゃくしゃにして、敷いておいてあげよう」
「心琴、ちょっと落ち着こう。無事は確認できたから、ちょっと専門家にアドバイスを仰ごうか」
「専門家?」
すると、夫は夜遅くまでやっている市内の動物病院に電話をかけました。そこでわかったことは、
・野生の鳥は緊急性の高い場合(道路の近くなど)を除いて、拾ってはいけない
・巣立ちビナは鳴き声で親鳥とコミュニケーションを取るので、人間が近くにいると親鳥が近づけない
・.最悪、猫やタヌキに捕食されてしまってもそれは命が次に繋がっていく自然なことなので、人間のエゴでそれを乱してはいけない
ということです。きちんとそのための法律もあるらしく、動物病院の院長さんは、突然の電話にもかかわらず、丁寧に教えてくれました。またも、感謝です。
つまり、私たちがここで駆けつけたところで、何もしてやれないし、してはいけないということでした。
やがて雨がぽつぽつと降ってきました。私は「ごめんね」と呟き、もう一度その子の方を見ました。すると、先ほどまでふるふると羽毛を震わせていたのに、しっかりとこちらを見て、首を小さく動かし、金色の綺麗な目を何度もきょときょととさせ、まるで私たちに「もう大丈夫だよ」と伝えてくれているようでした。もちろん、それは人間の勝手な解釈なのでしょうけれど。
それから、傘を持っていなかった私たちは少し強くなってきた雨に打たれながら家に帰りました。
家に帰ってきてから、私はたまらなくなって、夫にこう問いました。
「私、間違ったこと、してないよね?」
しかし、夫はゆっくりと首を横に振りました。
「心琴のしようとしたこと、あの鳥を助けたいと思ったのは、自然な感情だからそれはそれでいいけれど。それが正しいとか間違ってるとか、そういうものさしで決めるのは、僕は違うと思う。もしも『野生なんだから助けようとするのは間違ってる』とか『なんでフクロウは助けてゴキブリは殺すんだ』とか、そういう意見があったとしても、それに対して善悪や価値観の上下や相違を争うのは、不幸しか生まないから」
そこまで言われては、私は何も言えませんでした。
確かに、「私がそうしたかったから、行動した」、それ以上でも以下でもないのです。
ただ、あの子の無事を祈って昨日は眠るしかありませんでした。
野鳥だし、名前をつけるのも野暮かなとは思いましたが、より祈りやすように、心の中であの子に「そら」と名付けました。きっとあの子は、大空を目指して巣から羽ばたいたのだから。
先ほど、職場に出勤した夫からラインが届きました。
「そら、いなくなってたよ」。
通勤電車の中で、泣きそうになりました。無事なのかどうなのか、本当のところはわかりません。でも、きっとそらはあの雨の夜を越えて飛び立ち、生きのびたのだと信じずにはいられません。
成鳥になったそらは、大空を自由に飛んで、その命を存分に全うしてくれるだろう。そんなことを願うばかりの朝です。
蛇足ですが、数年後にものすごいイケメンに化けて恩返し(何もできなかったけど)にそらが現れたら、金色の瞳ですぐに気づくと思います。女の子だったら栗色の髪のショートカット希望です。何を言っているんだ私は。