朝、出勤のためマンションの玄関を出るとそこに蝉の遺骸が落ちていました。夏も終わるなぁと感傷に浸る間もなく、そのすぐそばにサワガニが落ちていました。
海のない都市で果てたサワガニが最期に見た空の色を想像するにまったく及ばず、はてどう捉えるべきかなどをつらつらと考えていたら、ぽつぽつと雨に降られました。秋雨前線の影響なのかな、あいわらず季節のうつろいは容赦ないですね。
昨日、noteでとんだ醜態を晒しました。トークノートを利用して、愚痴にもなっていない情けない吐しゃ行為に手を出してしまいました。そんな自分に心底ガッカリして、今朝は少し凹んで職場へ行きました。
職場で、「自分は自分が思うよりずっとくだらなくて情けない輩みたいだ」とこぼしたら、職場のクールビューティーなお姉さんが、「そりゃ笹塚、自分を好きな証拠だよ」と。
曰く、「取り返しのつかないことを取り返しに行くのが、あたしたちの仕事でしょ」。
かっけぇーかっけぇーひいき目を差し引いてもかっけぇー(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
さらに、「陰口なんかに及んだなら、その倍以上のひなた口を言いなよ」と。
ひなた口とは「陽口」と書くらしく、文字通り陰口の逆なのだそうです。お姉さんは続けました。
「気にくわないこと? うん、その辺に溢れてるけど。でも、んなもん逐一相手にするほど、あたしは優しくないからね」
やっぱかっけぇー……どこまでもついていきますぜ!
「いやウザイわそれ。だいいち、笹塚には唯一無二のダーリンがいるだろ」
あ、そうでした〜。
というわけで、やれ「傷の舐めあい」だの「ただの慰め」だのと批判したがり系ピーポーは今一度、「傷を舐めあえる相手がいること」や「慰めの存在しない生活を想像すること」をオススメします。
もうね、人だから。出会いも別れもフォローもリムーブもブロックも、米虫も削除も人だから。群れてしか陰口を叩けないのも、ほら、小学生が連れ立ってトイレに行くアレと大差ありませんし。そう考えたら、「ソレ系の言動」に心を揺らすほど私も繊細じゃないんで、もうどうでもいいでーす(ここで陰はおしまい)。
そう、人の気持ちは季節同様、どんどん移ろいます。それだけです。そもそも、こちらが勝手に期待するから痛いんだよね。だったら期待するのをやめれば楽になるんじゃないかな。これはとっくに理解してたはずのことだけど、いざ無視されると「あ“?」などとゴキゲンを傾けてしまう低俗なレベルの私が、それでも今夜胸を張っていいのは、他でもない自分がそんな自分を許したからです。
私、えらーい( ´∀`)♪♪
さて、せっかく「ひなた口」というスキルを学んだので、たくさんひなた口を言おうとあれこれトライしました(そしてそれを「なんか楽しそうだな」とノリよく絡んでくれる職場のみんながやっぱり大好きだ)。
以下、一例を抜粋します。
1.コスパ最強説
「笹ちゃん通勤時間長いじゃん? なのに週5で通っててほんとえらいよー」
「まーね、まかせて! たまに朝のライナーに乗れる日は、ホームにライナーが入ってきた瞬間に『イケメン……』って気分上がるくらい電車が好きなの!」
「それコスパ最強じゃん!」
「定期券マジ尊いわ」
「そんな笹ちゃんマジ尊いわ」
2.しかも
「ここのランチはいつもはしょっぱいなと思うけど、夏で汗かいたらミネラル豊富だからありがたいよね」
「しかもこの立地でこのボリュームで1,000円でお釣りがくるって大切」
「しかもお釣りでコンビニコーヒーが買えるし」
「しかもコンビニコーヒーのクオリティもなかなかだよ」
「しかも我々の午後の平和は守られたも同然じゃな」
「しかもじゃな」
3.合いの手
「笹ちゃんはなんで家で全然テレビ観ないの?」
「ラジオが好きだから」
「というより?」
「CDで好きな音楽をかけて過ごす日もあるし」
「というより?」
「リビングは間接照明しかつけないからその方が落ち着くんだよ」
「というより?」
「その空間で読書する夫を観察しているときが至福です」
「正直でよろしい」
***
こんな塩梅で生まれたたくさんの「ひなた口」の中で、キラリと光る名言を発したのは、たまたま事務所に顔を出した、古希をドリフトかけて駆け抜けた素敵なレディでした。
「笹塚さん、ウチの娘がね、あなたに憧れているって言ってたよ」
「えっ!? 娘さん、私とそんなに年齢変わらなくないですか?」
「ふふ。がむしゃらにやってれば、みんな誰かの憧れになれるのね。自分も誰かにとってヒロインだってこと、忘れないことよ」
わーーーきゃーーーきゃーーー( ;∀;) 私はあなたに憧れます!!
ちなみにそのレディの「迷言」は以下です。
「巣鴨が『おばあちゃんの原宿』ですって? フン、笑わせないで。原宿こそ『ひよっこの巣鴨』でしょうが」
かっけぇー……やっぱ「名言」だわ。
ということで、確かにポジティブな言葉で本当の気持ちにフタをするのは違うけれど、日が差すからそこは明るい「ひなた」であるし、明るい気持ちを注ぐからこそその場所が「ひなた」になるのだと実感した一日でした。
明るいことを考える、光が差すと、そこにはもれなく影が生まれます。でも、それは陰口を言っていい免罪符になどならないし、そもそも楽しくないという意味でまったく私の美学に反するので、これからもほがらかな「ひなた口」を心がけたいです。
帰宅したらサワガニはいなくなっていました。今頃きっと、天国でセミと仲良く過ごしていることでしょう。「セミとサワガニ」って、それだけでなんか書けそうだなとか思ってしまう、執筆ホリックの私めでございます(仕事関係の原稿は全力で除く)。