悲しみは悲しみのまま皿にのりいびつな食卓で君は笑う

彼が先月の私の誕生日に送ってくれたガーベラの花が、今朝になって突然一斉に散った。

さしづめ、花の報せとでもいおうか。

一報を受けてから私の日常は、あっけなくバタバタと崩れた。それまでの日々がいかに呑気なものであったか、それがいかにたくさんの人に守られていたのかを思い知ることとなった。「ありがとう、ごめんね」を何度伝えたことだろう。

彼のポロシャツ姿の背中がさっきから動かない。スマホでも見ているのかと思えばそうではなく、かといって白い壁に一ヶ所ついたなにがしかの染みを見ているわけでもない。

彼はどこも見ていないのだ。季節外れに暖かかった今日、風が運んだのは花粉だけではなかった。

いずれやってくるその時。頭ではそうわかってはいても、ついに彼は許す機を永遠に逸してしまった。その残酷な事実がごろんと彼の目の前に転がっている。

白いポロシャツの背中が少しだけ震えだして、言うまでもなく彼は笑っているのだろうと私は薄情ぶって見ないふりを貫こうとしたのだが、本当に掠れた声で笑っていたので、思わず声をかけた。

「苦しい?」

この問いは、果たして無神経だっただろうか。彼は数秒の沈黙ののち、

「悲しみになりたい」

とだけ答えた。

悲しみになりたい。けれど悲しみにはなれない。そんな自分が滑稽なんだそうだ。

私は寄り添うことしかできない。というか、寄り添っていたい。けれど、彼のいだく絶対的な孤独の牙城に踏み込めば荊棘に四肢を持っていかれるので、やはり聞かないふりをした。

寄り添うことも叶わない。私はとんだ意気地なしの勇者で、彼はそれを看過する魔王。今日はきっと、そういう夜なのだ。

こんな日にまで、日記にかこつけてnoteを書くようなパートナーでごめんね。私は私で、書いて吐かないと君の狂気ととても共存できないんだ。

別に許さなくていいから、どうか気の済むまで泣いてほしい。そんな悲しい笑い声なんて、聞きたくないよ。

「もし天罰があるとしたら、」

突然、彼が続けた。

「それは僕が受けるべきなんだ」

私はなにも言えなかった。なぜならなにも言う資格もないように感じられてしまったから。

私は君の横顔が好きだ。できれば君は左側で、ちゃんと私の利き手を支配してほしい。わがままを言わせてほしいんだ、君は私のわがままにあきれてため息をついてほしいんだ、仕方ないなと頭を撫でてほしいんだ、お願いだからそんな空洞みたいな瞳でこっちを見ないでよ。

君が悲しみにはなれないことは、私が君の悲しみに溶けることができないことと同じくらい絶望的だ。

ただ、ひとつだけ伝えさせてほしい。

君の悲しみは、もはや私の利き手を痺れさせるほどの猛毒だ。それ以上に君が身を預ける狂気は私の心身をひどく不安定にさせる。

けれども、今日はそれらを美化していい夜ではないだろう。私は、君のパートナーとして、君の笑い声を耳と体で受け止めつつ、君の悲しみに心を傾け続けてみせよう。

悲しみは悲しみのままにしておこうね。現像した写真みたいに、いつか自然に色褪せる時がくるまで。