第一話 キランソウ

第一総合病院精神科病棟。その晩、デイルームのテーブルの上には青い花が飾ってあった。高橋美和は夜勤で眠い目をこすりながら、時々ナースステーションからそれを見た。 とても気持が和んだ。かわいいもの好きな美和だから尚更だ。花な…

プロローグ 彼女の涙

彼女は一人泣いていた。 どんなに堪えても、あとからあとから涙がこみ上げてくる。 ……どうして。 誓ったはずなのに。あの日、確かに、誓い合ったはずなのに。 無情にもタイムリミットはやってくる。 彼女は、一人、その場を後にし…

今日の短歌 フォーマルハウト

1 靴下は片方なくすと気づくでしょ素足を寄せるこの音が好き 2 スイッチは軽い気持ちで押しましたまさか全員消えちゃうなんて 3 「愛だよね」確認された瞬間に愛じゃなくなるなら愛じゃない 4 鼻唄は洗濯機にも伝染し土曜の昼…

今日の短歌 説明責任

1 万華鏡 説明責任から逃れ数字となった人々の夢 2 飼っているインコが死ねと言い出した取り返しっていくらでつくの 3 平準化された笑顔で渡される林檎を嚙る芯はへし折る 4 人の声じゃないといいねあの家はペット禁止のはず…

今日の短歌 アルゴリズム

1 カレー屋の屋号が変わった気がしててチェックのためのバターチキンだ 2 新宿のエスカレーターのくだりに終わりがないと思わなかった 3 各停はだめなわたしをだめなまま古書とカレーの国へ導く 4 踊れないアルゴリズムはリズ…

エピローグ

夏真っ盛り、大学は夏休みに突入し、私はアルバイトに勤しんでいた。あの日以来、アルバイトが終わると、必ず彼の家に顔を出すようになった。アパートの室内では、牛丼屋を辞めた彼が、緩慢な動作でアルバイト求人誌をめくっている。 私…

八限目 笑いごと

「社会のために役立ちたいです」 「困っている人に手を差し伸べたいです」 こうした志望動機が、自分が役に立つ人間である、自分自身は困っているわけではないといった類の尊大な態度の、他ならない表明である。そのことに気づいている…

七限目 動機

彼のスマートフォンから着電があったのは、アリミと池袋駅前で別れてしばらく経ってからだった。外はだいぶ暗くなっていて、時刻も午後6時半を過ぎていた。 「もしもし」 しかし、期待した声は聞こえてこなかった。電話の主は、やや遠…

六限目 友達

面会室で向かい合って座った。佐宗はにこにこしながら私を見つめている。 「あの……」 私から声をかけると、「なに?」と嬉しそうに佐宗が応答する。「なに?」は私のセリフだ。 「どうしてこんなとこにいるのかって? 気になる? …

五限目 再会

実習も折り返し地点に入り、内容にも日々の日誌書きにもこなれてきた頃のことだ。朝からデイケアの事務室内が緊迫した雰囲気に包まれていた。 実習の指導教官を含めた3名が、なにやら深刻そうに話し合いをしている。 「いや無理ですっ…