第八章 その面影
「俺を信じるか?」 彼は相手の目をまっすぐ見ながら、というより相手の目をえぐる様な鋭い視線でそう問いかけた。 「それとも、世界を信じるか?」 「……!」 捕えられた相手は、突き付けられている凶器と思しきものをどうにか除け…
「俺を信じるか?」 彼は相手の目をまっすぐ見ながら、というより相手の目をえぐる様な鋭い視線でそう問いかけた。 「それとも、世界を信じるか?」 「……!」 捕えられた相手は、突き付けられている凶器と思しきものをどうにか除け…
春の初めの暖かい風が、彼の頬を掠める。彼の足もとには、芽吹き始めた新しい命たち。朝露を受けてしなやかに伸びる、その葉々を邪魔するように一つ、影が転がっている。朝日を浴びたそれは、先刻、ただの肉塊と化した。 逆光を浴びて薄…
正義(名)セイ・ギ 【器物損壊容疑の取り調べ時に録音された『彼』の肉声】 「僕は、正義だ。ただひたすらに、自分の正義を貫くだけだ。僕は正義の刑事で、あいつは裁かれるべき殺人犯だった。僕は悪くない。僕が悪いわけじゃない。な…
「――、おはよう」 彼女の記憶から唯一欠けているものがあったとしたら、それはきっと彼が呼ぶ彼女の名前だ。名前そのものを忘れたわけではない。あの人が彼女の名を呼ぶその声が、どうしても思い出せないのだ。 「……おはよう」 寝…
【某年某月 獄中での手記】 いつから、僕は自分の影に囚われ、自分の翳に飲まれたのだろう。それとも、これが僕の本当の姿だったのだろうか? だとしたら、きっと僕は幸せだったんだろう。 彼女が教えてくれたのかもしれない、僕の知…
冷たい廊下に甲高い靴音が響く。狭い空間によく映える鋭い音。それがテンポよく聞こえてくる。彼は読んでいた本から目を離し、来客を待った。カツカツという靴音は、彼の部屋の前で止まる。 一呼吸置いてから、来客は静かに彼にこう言っ…
ミズ・解剖医が気だるげに白衣を着替えながら話しかけるのは、一人の迷える仔羊だ。 「つまりは肯定されたいわけね、あなたは。肯定には色々オマケがついてくるから。いい点数、高いお給料、羨望の眼差し。でも誰から? 世界から? 世…
篠畑礼次郎はスープを掬う手を止めた。しばし微動だにしなかったのだが、たった今受けた報告をもう十分に咀嚼したのか、一人で頷くと 「資料はありますか」 そう若宮郁子に訊ねた。若宮は青ざめた顔色を戻せないまま、おぼつかない手つ…
これは、紅茶がさめるまでに語られる、「本当の彼」が「彼女」と結ばれるまでの暇潰しにもならない物語。 【悪夢の演出家より挨拶】 最初に告げておきましょう。僕は一介の演出家に過ぎません。この白い箱には約束という名の極上のプレ…
オーケストラの演奏が零時ぴったりに見事にフィニッシュし、拍手と歓声と派手な花火の演出が、2018年の始まりを告げた。 「あけましておめでとう」 私が言うと、彼はあくびをしながら 「うん」 とだけ応じた。それからまもなく、…