二十二話 刹那の灯(一)血

その場に居合わせた女性看護師がすぐに美奈子に駆け寄り、三角巾として使っていたバンダナで美奈子の二の腕をきつく締めあげ、「大丈夫だよ」と声をかけた。それから先ず消毒しようと傷口から溢れる血を拭おうとするが、見た目以上に裂傷…

第二十一話 慈愛の罠(七)刃

「忘れ物だ」 開口一番、若宮が木内にそう告げると隣で俯いていた青年がおもむろに顔を上げた。それを見た木内は、思わず息を飲んだ。 「君は……」 若宮が若干あきれた表情で木内を見やる。 「『中途半端』は、お前の一番嫌いな言葉…

第二十話 慈愛の罠(六)詩歌

美奈子は裕明の過去について何も知らない。知らないからこそ、わかることがある。それは、自分のことを「雪」と呼ぶ時の彼が、瞳に深い悲しみを湛えていることだ。彼は美奈子に「雪」と呼びかけたのち、窓辺に腰掛けたまま一編の詩をよど…

第二章 洗脳の方法(三)

クリニックのロッカールームの奥に、「ボイラー室」とわざとらしく表示された鉄製の扉がある。これは外とも繋がっていて、外から入る場合は「倉庫」とだけ書かれてある。ミズは朝に受付のおばちゃんから受け取った鍵を突っ込んで扉を開け…

第十九話 慈愛の罠(五)許し

都心で耳にする蝉の声よりも、この奥多摩の森林から注ぐそれらは柔らかく美奈子の耳に沁み入った。アブラゼミ、ミンミンゼミにまじってこの頃ではクマゼミがこの辺りにまで生息域を拡げているらしい。独特のわら半紙を擦り合わせたような…

第二章 洗脳の方法(二)

その日の朝も、ミズ・解剖医は鏡に向かい口紅を塗りながら、惰性で朝のテレビニュースを聞いていた。 「……警視庁は先日、同庁刑事の葉山大志容疑者28歳を、器物損壊容疑で書類送検し……」 何、身内さんが捕まったって? ふーん。…

第二章  洗脳の方法(一)

ミズ・解剖医が気だるげに白衣を着替えながら話しかけるのは、一人の迷える仔羊だ。 「つまりは肯定されたいわけね、あなたは。肯定には色々オマケがついてくるから。いい点数、高いお給料、羨望の眼差し。でも誰から? 世界から? 世…

第一話 ラナンキュラス

東京にも綺麗な星空が見える場所があってね。つけられた地名をそのまま使うのは野暮だから、僕は「星見ヶ丘」って呼んでる。子どもっぽい?  確かに、そうかもね。 もう一度見せてあげたい、星見ヶ丘の夜空を。ある仲間はね、降り注が…

第十八話 慈愛の罠(四)風

それは確かに、二人にとっては優しい時間だった。不自由と抑圧を絵に描いたような場所ではあったが、それでも二人は、その空気に抗するごとく、不器用ながらも真剣に心を育てあった。 少女——雪は、ちらりと目が合うだけで、顔を赤らめ…

第十七話 慈愛の罠(三)願い

ひとしきり話を終えた裕明は、昂ぶった呼吸を整えるために、長めにため息をついた。 「そういうことなんです」 力なく笑ってみせる裕明に対し、美奈子はあっけらかんと右手を、再度高く上げた。 「はーい、先生!」 裕明の過去を聞い…