序章 神保町
いやに暖かい風の吹いた日、芽吹きかけた衝動を噛み殺しながら、彼は神保町を歩いていた。古本屋とカレーとサブカルチャーの香り漂うこの街に、彼は自分を遺棄する場所を探していたのだ。 その両目には諦観とひと匙の狂気のなり損ない。…
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いやに暖かい風の吹いた日、芽吹きかけた衝動を噛み殺しながら、彼は神保町を歩いていた。古本屋とカレーとサブカルチャーの香り漂うこの街に、彼は自分を遺棄する場所を探していたのだ。 その両目には諦観とひと匙の狂気のなり損ない。…
金曜の夜の新宿を、傘もささずに歩く彼は、数多のネオンを睨み返しながら歩いている。その後ろを、訥々とした足取りで私はついていくのだ。 新宿駅を出てはじめて、雨が強まってきたことを知った。濡れながら歩くのは少ししんどい。 「…
金曜日の新宿で待ち合わせた。なんでまた、こんなやかましい街に? その問いに彼は、 「スタバに行こう」 と返してきた。 街を見上げればあちらこちらで微笑んでいる、人魚のロゴマーク。 「どのスタバ? この街、スタバだらけだよ…
春もやが街を支配する水曜日、珍しく平日に休みを取った。いわゆる年度末の有給消化というやつだ。私がそのことを彼に伝えると、「じゃあ、僕も」とわざわざ休みを合わせてくれた。ありがたいような、ただのありがた迷惑のような、どっち…
春もやが街を支配する水曜日、珍しく平日に休みを取った。いわゆる年度末の有給消化というやつだ。私がそのことを彼に伝えると、「じゃあ、僕も」とわざわざ休みを合わせてくれた。ありがたいような、ただのありがた迷惑のような、どっち…
京王線の準特急は、笹塚駅に止まる。そんなどうでもいいことが、やけに気にかかる日だった。 とにかく急いでいた。仕事が長引いて、彼と待ち合わせしている新宿へ着くのが約束の18時を過ぎてしまいそうだった。 調布駅からようやく乗…
待ってたよ、疲れた? そう言いかけた私をさておいて、彼はなんの躊躇もなく私の家に入ってきた。 「ちゃんと食べてる? 暖かくして、睡眠もしっかりとらないと」 「……そうだね」 まるで、昔からそうであったかのようにごく自然に…
あれから、彼は無難な言葉ばかり並べ立てて、私に努めて優しく接した。わさびとソースで汚れたレンジの掃除までしてくれた。 私といえば、思い出したように熱が上がってきて、ベッドに突っ伏してしまったのだが、そんな私を彼は介抱して…
夜の新宿で待ち合わせた。あの日と同じ、霧雨だった。 東口のアルタ前で春色のワンピースを着て、歩きやすいようにヒールの低めのパンプスを履いて、緑色の傘をさして立っていた。 カバンには、先日彼が残した一枚のメモ帳が入っている…
笹塚駅からの帰り、彼と二人、列車に乗った。ガタゴトと揺れる車内を、彼と手を繋いでいた。バラの花束をもう片手に携えた私は、はたから見ればそれはもう幸せに映っただろう。 暗闇の中を走る列車の中で、彼が静かに口を開いた。 「1…