第五話 日常/非日常

桐崎くんが夏風邪を引いた。熱が38度近くまで上がり、ベッドから起き上がれないという。その一報をラインで受け取った私は、ビタミンウォーターとお粥の材料を持って彼の住むアパートへ向かった。 場所は何となく知っていたが、行くの…

第四話 チョコレートとコーヒー

数週間が過ぎて、夏菜子の消息が周囲に徐々に疑われ始めた。元々一人暮らしだった夏菜子は、あまり実家にも連絡を取っていなかったらしく、夏菜子の両親が異変に気付いたのは六月も中頃を過ぎたあたりだった。 「彼氏と駆け落ちしたらし…

第三話 フロム・ヘル 

ひと昔前、「フロム・ヘル」という映画が流行ったことがあった。切り裂きジャックを題材にした映画で、娼婦の女性が連続して殺されていく実際にあった事件を描いたものだ。 それを知ってか知らずか、とある日の午後にショッピングモール…

第二話 ごめんね 

「夏菜子、今日も休みなんだね」 同窓生の美恵の何気ない言葉に、私は肝を冷やした。美恵はスマホをいじりながら、言葉を続ける。 「ラインしようかなぁ。さすがに心配だわ」 「いや、しなくていいんじゃない?」 私はとっさに美恵を…

第一話 桐崎くん 

桐崎くん。最初に彼の名前を呼んだのはいつだろう。 彼はいつも背筋をしゃんと伸ばして、キャンパスを歩いていた。人気のない学部だったから、人数のそれほど多くない教室の中で、それでも彼は異彩を放っていた。 友人は少ないように感…

俺のギター道

都内私立大学1年生の篠井久志は、大学生になって初めてギターを持った。マイペースを地で行く彼について、いくつかのエピソードをお話ししよう。 彼は高校生までは生粋の茶道部で、和を尊ぶ少年だった。外見も、黒髪短髪の地味な少年だ…

ふたりの一週間 Colorful days go on.

ひとりとひとりとが出逢って、ふたりになった。孤独と孤独とを掛け算したかのようなモノクロの虚しさが、日々を重ねるにつれ、いつしか彩られていく。これはそんな、ささやかで、それでいてどこかが強烈にずれている、「ふたり」の、なん…

ガトーショコラの約束

吉田美咲の日課は、三毛猫のマグに朝ごはんをやることから始まる。準備を整えて待っていると、店の奥から澄まし顔でマグがやってくる。冬の足音が聞こえだした街の一角にある、小さな喫茶店の朝だ。 「マグ、おはよう」 当然ながら返事…

暇つぶし

僕はしげしげと目の前の少女を見た。少女は不機嫌そうに僕の視線を受け流している。 「邪魔じゃない?」 単刀直入に僕は言った。 「その羽。空気抵抗が」 少女はダンマリだ。 「不利だと思うんだ」 ショートカットヘアの少女は、ま…

ゼンマイを巻く

地元のミニコミ誌の取材依頼が来たのは、紫陽花たちが雨に濡れて彩りを増す時期のことだった。 はなみずき通りと名付けられた通りに面したこの店だが、流行のカフェとは違って年号が昭和の頃からほとんどスタイルを変えていない、自分で…