第一章  幻想即興曲

篠畑が連続自殺教唆で死刑宣告を受けてから半年後。唐突に執行の日はやってきた。絞首台の上へと、両脇を執行官に抱えられながら、篠畑は死の階段を一段ずつ上っていた。「まるで人生を振り返るように一歩一歩、噛みしめるように上っていたように見えた」と後に執行官の一人は振り返る。

いよいよ最上段に来て、首に縄がかけられる。あとは床が抜ければオシマイだ。ところが、床が無くなる一瞬前になって、篠畑の右側を歩いていた執行官が突然、「あー」と奇妙な声をあげ、ナイフで篠畑に切りかかった。否、篠畑の首にかけられていた縄をざくりと切ると、そのままの勢いで己の首に刃先を突き立て、

「――これでいいんですよね、先生?」

そう潤んだ瞳で篠畑に問いかけた。篠畑は微笑み、ゆっくり頷く。

血しぶきがあがったのはその直後だ。その瞬間、その場にいた誰もがあっけに取られたという。極めて残念ながら、既に刑を執行してしまったので、もう誰も彼の首に縄をかける事はできない。かといって、そのまま釈放するわけにもいかない。

篠畑はその能力を買われ、プロファイリングの仕事を刑務所の中で与えられて暮らしている。しかし、他の受刑者とは違うのは、籍は消えたし身分も定かでないという点である。刑が定まった時に、医師免許もはく奪された。

『耽美なる死を導くもの』とは、彼が常に教唆して死なせた者たちに『美しさ』を求めたからでろう。『見えざる影』というのは、どこからか彼が一度死んだことを知った者が付けたものと推察される。

死刑を執行されたのに死ななかった輩がいる、という情報を聞きつけてやってきたのが、先述のミズ・解剖医である。二人は、お互い変人だという事もあってかすぐに意気投合した。殺人事件が起きれば、まず篠畑がプロファイリングし、ミズ・解剖医が検死をする。このコンビで解決してきた事件は表に出ていないだけで、実は結構な数に上る。だが、篠畑の存在はあくまで『無』であるので、このことを知っているのは一部の警察関係者と死者だけである。

「そういうわけなのよ。これは秘密ね。もっとも、言ったところで誰も信じちゃくれないから」
「……」

美恵はポカンと口を開けるばかりだ。

「……なんていうか。すごいですね」
「それは褒めてもらったのかな? まぁそういう訳なんで、もう少し詳しく話を聞かせてください」

そういう訳、という言葉の意味するところがわかりかねた美恵であったが、ここは非日常的な空間であるのだということは理解できた。

「『PROMISE』の隠しトラックを逆再生すると、シュンの呻くような声で『しあわせになりたい』と聞こえるんです。最初にそれを聴いてしまった同学年の女子が、ノイローゼになって、『い』という文字を残して自殺しました。でも彼女は死ぬ前日に、隠しトラックの事を友人に教えてたんです。その友人もまたノイローゼになって、今度は『た』という文字を残して……。いつからか、自殺は連鎖するようになりました。呪いだと言いだしたのが誰なのか、今となってはわかりません」
「た、い……あ、逆から読むのね。だから最後は『し』なのか」
「若宮君、もしかして、今? 今、気づいたんですか?」
「ええ。とろくて申し訳ありませんね」
「いやいや。鷹揚なところが君の長所ですよ」
「本気で励まされてもな……」

若宮はひとすじ、首筋に嫌な汗をかく。

「でも、不思議ね。だってアークボーイズのCDは爆発的に売れたんだよ。隠しトラックの存在ぐらい、全国に知れ渡っているはずじゃない? 私は最近の音楽に疎いけど、彼らのヒット曲は知ってるわ。なんで美恵さんの周囲にだけそんな現象が起きたんだろう」
「さぁ……それは私もわかりません」

篠畑は資料と美恵を交互に見やる。

「君は卒業までに誰かにCDを聴かせなければならない。しかし文字はもう最後の一文字だ。美恵さん、君の場合は、殺人願望と言うより、自分を守りたい本能と自殺したい衝動とが、激しく葛藤している状態に見受けられます」
「そうですね。彼女には浅ましい殺人願望などありません。呪いの連鎖を食い止めたくて、藁にもすがる思いでここへ来たんですよ。まあ、案内したのは私なんですけど」
「若宮君。薔薇の女優の自殺ですが」
「は」

突然話題が転換されて、若宮の脳は一瞬だけついていけなかった。

「現場はもう撤去されたのですか」
「ええ。昨日の夜までにはマンション中を捜査して、遺体は今検死をされているところです」
「ふーん……」

篠畑は顎を手で撫でる仕草をして考え込んだ。

「では、逆転の発想でいきましょう。美恵さん、貴方は美しい。見目だけじゃない。その葛藤に苦しむ姿こそが美しい。あなたは『解決』されるべきです」

まさか『耽美なる死を導くもの』にそんな事を言われるとは思わなかったので、美恵はどう反応していいのかわからなかった。

「だから、その呪いのCD、利用しましょう」
「え?」
「ラストリスナーにもっと相応しい人間がいるはずです」
「え、誰ですか?」