「いやぁ、似合いますね」
篠畑の社交辞令に、若宮は「どうも」と棒読みで答えた。若宮はいわゆる「キャリア組」のため、本来ならば現場で指揮を執る立場にいるはずの刑事である。だが、父親の遺志を継いで刑事になった彼女は敢えて「現場百ぺん」という言葉を矜持とし、今日に至っている。だが、まさかその「現場」でブレザーを着る羽目になるとは思わなかった。若宮は背が低めなのと目が円らなせいで実年齢より若く見られることが多いのだが、それにしても精神的につらいものがあるようだ。
「高校生の制服は、きついです……」
篠畑は浅黄色のセーターを着て涼しい顔である。慌てた美恵が必死にフォローする。
「大丈夫です、ちゃんと似合ってます!」
「あー、そんな気ィ遣わなくていいよ。さ、さっさと用事を済ませて帰りましょう。先生の外出許可は午後7時までですから」
「そうですね、せっかくの外出だからせめて美味しいものでも食べたかったんですけど」
「そんな優雅な身分ですか。先生は先生の役目を果たしていただきます。……どんな魂胆か知りませんけど、私だって好きでこんな恰好しているんじゃないんですからね」
「なに、用件ならすぐに終わりますよ」
篠畑はすれ違った学生にひらひらと手を振った。教師気取りなのだろうか。
「美恵さん、『PROMISE』は持っていますよね」
「は、はい。いつでも聴けるようにウォークマンにも落としてあります」
「CDだけで十分ですよ。さて、放送室はどこですか? 美恵さん、案内してください」
「あ、はい」
3人は美恵の通う高校へ来ていた。というよりも、潜入していたと表現したほうが正しいかもしれない。若宮の制服は、捜査経費として落として先ほど、近くの販売店で購入した。この時期なので次年度入学生のために品物は揃っていたので問題ない。だが、当の若宮は非常に不服そうな顔をしている。
「私だって、新米教師で通りませんかね?」
「いくらここが大きな高校だからといって、いきなり見ず知らずの教師が2人も現れては不自然です。それとも、僕にブレザーを着ろと?」
若宮はポン、と手を打った。
「それも見ものですねー」
「若宮君。僕にもプライドというものがあるのです」
「よく知ってます」
篠畑はけろりとした顔をしている。若宮はぺろっと舌を出した。不思議なコンビだな、と美恵は内心思ったが、口に出す勇気はなかった。
美恵の案内で放送室の場所はすぐにわかった。昼休みなので放送部員が校内放送をかけていたので、校内には無難なポップスがかかっている。篠畑は放送室の扉を開ける前に、美恵にこう告げた。
「何事も秘密裏に内輪で盛り上がるから、周囲から見て『お寒い』んですよ。どうせとっておきの呪いなら、皆でシェアして楽しもうじゃないですか」
「先生、言っている意味がよくわかりませんが……」
若宮が説明を求めるが、篠畑は「すぐわかりますよ」と言って、放送室の扉を開けた。
「ちょっと君、いいですか」
部員は弁当片手にポカンとしている。美恵と若宮はなんだか居心地が悪くて、篠畑の後ろにすばしこく隠れた。
「どちら様ですか」
放送部員は至って当然の質問をする。篠畑は、かつて自分が精神科医時代に診察の際、患者へ見せていたとっておきの笑顔を向けた。
「僕は来年度からここに赴任する教師……です。科目は、そうだな、化学がいいかな」
若宮は思わず「『いいかな』って、そりゃないでしょう」と背後からツッコミを入れる。
「とにかく、これも一種の立派な人助けです。CDの機材は、ええと、これかな?」
「ちょっと、勝手に触らないで下さいよ。新しい先生が何のご用ですか」
この放送部員もなかなか気が強い。おじけずに不審者と向き合っている。しかしそれ以上だったのが篠畑の得意の笑顔で、彼はこう持論を展開した。
「人の心はアメーバのように一瞬一瞬で形を変える。虹色に色づく。そして砕け散る……その瞬間が何より美しいと、僕は考えています」
「?」
「なに、放送機器を貸して下さるだけで構わないのです。30秒もあればいいです」
「今放送中なんで無理ですよ」
「今じゃないと意味がないのです。それとも、授業中に流してもいいというのなら結構ですが」
「授業中は放送機器の電源は落としますから」
「では」
篠畑は、一切の躊躇なく流れていた最新の流行曲を停止させた。
「何するんですか!」
放送部員はすっかり憤慨している。それは当然だろう。仕方がないので若宮がフォローに回ることにした。
「ごめんなさいね。あの、なんていうか、私もよくわからないんだけど、ここは譲って、お願い」
「ちょっとあなた、見かけない顔ですね。編入生ですか?」
「私? 私は、その、そう! 編入生。最近、また女子高生やりたいな~って思って……その……ははは」
自分でも何を言っているのだろう、と若宮はひどく赤面した。演劇部だったが彼女に役者の経験は皆無だ。若宮がしどろもどろになっている間に、篠畑は手早く「準備」を済ませてしまった。
「あとは、ここを押して再生するだけです」
「え、まさか」
美恵が目を見開く。
「まさかも何も、そのためにこんなところへ来たんじゃないですか」
篠畑は、得も言われぬ圧力のこもった笑顔で美恵を圧倒した。
「ダ、ダメよ、あれは私たちだけの秘密なんだもの、呪いは、広がったらただの噂になっちゃう」
「そのとおり。よくおわかりですね。そんなに秘密がお好きなら、後で面白い事を教えてあげます。とっておきの秘密をね」
篠畑の指が、容赦なく逆再生のボタンを押下した。美恵は怯えて反射的に身を縮める。若宮はただ愕然とした。放送部員はただただ、突然の展開にどうリアクションすればいいのかわからず硬直している。
冷たい空気の抜けるような音がしばらく続いたかと思えば、唐突にトラックは無音になる。
15秒ほど沈黙が続いた(この時間が、若宮と美恵には一分くらいの長さに感じられた)その直後。
校内中に、アークボーイズのヴォーカリスト、シュンの呻き声が流れた。
『……し・あ・わ・せ・に・な・り・た・い……』
「きゃああああああああっ!!」
放送室に美恵の絶叫が響く。彼女は完全に気を動転させ、一心不乱に鞄からカッターを取り出すと、刃を長く出して篠畑にとびかかった。
「何するのよぉぉぉぉっ‼」
篠畑は動かない。動けないのではなくて、動かない。美恵の気の済むようにすればいいと思っているからだ。美恵は呪われた鬼のような形相で、篠畑の左胸を刺そうと手を振りかざした。
ここは、若宮が素早く反応した。手刀で美恵の右手をはたくと、美恵の手はあっさりとカッターを手放してしまう。
「殺人未遂、および公務執行妨害で現行犯逮捕!」
若宮は条件反射で言った。美恵は荒い息を吐きながら若宮に抵抗しようとする。しかし合気道黒帯の若宮に敵うはずもない。
美恵は、今度は幼児のように泣き出す始末である。篠畑は、そのまま幼子をあやすような口調で、
「これで、校内の全員が呪われたことになりますね」
と言ってのけた。
若宮が思わず息を飲む。
「じゃあ、一体ここはどうなるんですか。みんな死んじゃうんですか?」
「まさか」
篠畑はどこまでも涼しい顔だ。
「なぜ美恵さんは『隠すこと』、『秘密』に固執したのか? それはですね、思春期特有の思考回路や精神状態による部分が大きいのです」
「もっとわかりやすく説明してくださいよ」
「子どもの頃に作りませんでしたか? 秘密基地とか。遊びの場を失った現代の子どもは、ネットなどの仮想世界に秘密基地を作って大人から逃げようとしている。正確には、『大人になること』からね。彼女『たち』もまた、CDに呪いがあるという『設定』をして、次々に死ぬことで大人なることに抵抗したかった……そんなところでしょう」
「違う!」
美恵は激しく首を横に振った。
「知った顔で解説なんてしないで! 私はただ、人の死の種類を知りたかっただけ」
篠畑の片眉が、ピクリと動いた。
「首つり、リストカット、服毒、飛び降り、焼身、感電、排ガス、入水……最期にはこんなに種類があるんだなって。自殺だけでも……」
「知って、どうするつもりでしたか?」
「別に。知りたかった、それだけよ」
若宮は自分の腕の中でつまらないことを吐き捨てるこの女子高生に、心底イライラとした。今、自分が力をこめる場所を変えてしまえば、あなただってコロッと逝っちゃうんだからね、と内心で毒づく。
「先生、この子どうします? 逮捕! なんて言ったはいいんですが、今、警察手帳も手錠も持っていないんです。私人逮捕の条件は満たせていませんし……」
私人逮捕の条件とは、犯人の氏名や住居が不明な場合、または犯人が逃亡するおそれがある場合に限るというものである。
篠畑はどこまでも涼しい顔をしている。
「大丈夫ですよ。彼女を解放してあげてください」
「えー」
「いいから」
若宮はむすっとした表情で美恵の身を自由にした。途端に床に崩れる美恵。放送部員といえば、いつの間にか美恵の落としたカッターを持って立ち尽くしている。
「え?」
美恵が気づいた時には、放送部員がカッターを美恵めがけて振り下ろそうとしていた。またもや若宮の出番である。今度は制服のスカート姿にも関わらず繰り出したハイキックが、放送部員の手首を直撃した。
カッターが宙に舞い、美恵の眼前に刺さる。美恵はおののき、ようやく微かに声を絞り出した。
「な、何なのよ……」
篠畑はニコニコしながら、「宣告」を開始する。
「『呪い』は全校中に行きわたったんですよ」
美恵に外を見るように促した。おそるおそる美恵が窓の向こうを見ると、十数人もの生徒がこちらに押し寄せてきている。
「え、何が起きてるの!?」
「『あなたが願ったこと』が、叶っただけじゃないですか」
サラリと篠畑が突き放す。若宮は愕然としつつも、合点がいったらしかった。
「もしかして、他の方法と被らない自殺方法って……」
「そう。嘱託殺人です」
「でも、なんでこの子たちまで……」
「そういうCDをかけたからですよ」
篠畑は懐から、2枚のCDケースを取り出した。一つは『PROMISE』。そしてもう一枚は、
「音楽は、一定の属性を持った人間にうってつけの催眠効果があるのです」
強烈に『大人になりたくない』願望を持った生徒だけを、一時的に洗脳する効果のあるCD。作曲者は篠畑お気に入りのショパンだ。
「いつの間に……」
「先ほど、『PROMISE』の直後に、ちょっとだけかけさせてもらいました。ほんの数秒」
美恵は先ほどまでの勢いを失い、すっかり脱力してしまい、その場で動けなくなってしまう。そんな彼女にとどめを刺すがごとく、篠畑は朗らかに手を振った。
「さぁ! その若さで一つの真理に辿りついたお嬢さん。あなたに新世界への扉は、文字通りここにあります! さぁ、いってらっしゃい」
「そんな、嫌よ」
「あなたの望む世界はすぐそこです!」
ご丁寧に、篠畑が自ら扉を開けてやった。一斉になだれこみ美恵に掴みかかる十数人の生徒たち。
「ぎゃああああっ!!」
美恵が汚い叫び声をあげる。
「……さて、帰りましょうか」
人混みをかき分けるようにして、二人は現場を後にした。