学園祭実行委員にかけあって、彼女をその年のミス・白零に仕立て上げたのは保坂の仕業だった。実行委員側としても盛り上がるだけの人材が欲しかった。利害が一致したのである。実際、彼女はミス・白零に選ばれるに遜色ない顔立ちをしていた。だが、せっかくの美貌も彼女の無頓着さゆえ、いささか霞んで見えた。
それでも保坂は、彼女のそうした媚びない部分や意地っ張りさに、ずっと「興味」を持っていた。
そこへ学園祭の時期がやってきた。保坂にしてみれば絶好の機会だったわけだ。彼女は後から知ることだったが、保坂の企みには佐伯も一枚噛んでいた。
保坂と彼女が二人で学校を後にするのを、佐伯は(冷めた焼きそばを食べながら)眺めていた。
それから一年が過ぎた。
解剖学専攻の彼女は日々忙しく過ごしていた。学園祭の後、数週間ほど校内の注目株となったが、彼女にまったく称号への執着心がなかったこと、そして彼女の本来のやや尖った性格、そして何よりも保坂の存在が、周囲の好奇の目を退けた。
「最近、どうなの?」
佐伯が学食で弁当を広げながら彼女に言う。彼女はひじきの煮物をつつきながらもう一方の腕で頬杖をついた。
「どうって、何が?」
「保坂とうまくいってんのかって訊いてんの」
「ストレートすぎない?」
「わかりやすくていいいでしょ」
「……まぁ、普通」
「けっ、つまんねー回答」
「面白いことを言う必要はないでしょ」
それもそうだ、と佐伯は笑った。わかりやすいのは佐伯ではなく彼女の方だ。保坂のことを話題にしただけで耳まで赤くなっている。
「お幸せにね」
じゃあ五限が終わったら研究室でね、と言い残し、佐伯は授業のために学食を後にした。
佐伯と彼女は入学直後から、意気投合したと言うよりも佐伯の方が彼女に懐いて、一緒にいることが多かった。初めこそ煩わしかったものの、今では一番の親友である。
白零大学医学部の竹平ゼミ。そこで保坂と彼女は出会った。解剖学専攻の保坂は、すぐに彼女に興味を持った。
凛々しい顔立ちに意志の強そうな、いや気の強そうな瞳。
彼女と言えば、保坂は何人もいるゼミ生の一人にすぎなかった。しょっちゅう実験中に絡んでくる保坂を、ウザいとすら思ったこともあった。しかし不思議と、今まで関わってきた人間たちのように切り捨てることができなかった。
「それは恋っちゅーやつよ」
そこを取り持ったのが佐伯だ。お節介焼きな佐伯が、学園祭の企画を保坂に持ちかけ、保坂が実行に移したというのが実のところであった。
今朝は保坂が作ってくれた朝食をしっかり食べたおかげで、午前中の作業がはかどった。昼を軽く済ませたので、三時過ぎになって急にお腹がすいてきた。彼女はしょうがない、と自分に言い訳して購買でスナック菓子を買った。しかし一人で食べきるには多すぎると思い、研究室に置いておけば誰かが食べるだろうと思ってそちらへ向かった。
佐伯はまだ授業だと言っていたし、他のゼミ生も各々の研究報告日が近くて居残りしてまでこの時期に実験をする輩なんて、そういないだろうけど。彼女はポケットから研修室の鍵を取り出した。
だが、誰もいないはずの研究室のドアが、開いていた。
(……?)
誰かいるのだろうか。昼間だというのに曇り空で薄暗い研究室は、照明がついていないせいで余計に暗かった。
「誰か?」
彼女は言いながら、部屋の電気をつけようとした。
――その手が、ピタリと止まった。
動いている影が壁に映っていた。しかしそれは自然な人間の動きのそれではなく、規則的にユラユラと動いている。シルエットが何であるのか、聡明な彼女でなくてもすぐにわかってしまった。
人だ。
宙に浮いたそれは、人間だ。
「――ッ!」
彼女は悲鳴を上げることができなかった。
佐伯だった。天井の梁から出ていた人体模型を固定する棒から、ロープが繋がれていて、それで作られた輪から佐伯が首を吊っていた。揺れ動いていた。彼女は、弾かれたように行動を起こした。
何からしていいのかわからなかったが、まず佐伯の首のロープをどうにかしようと、必死になって力づくで解いた。いくら佐伯が小柄とはいえ、人間一人を支えるのは彼女には至難の技だ。それでも、無我夢中で力を振り絞った。
次に携帯電話で救急車を呼んだ。何をしゃべったかはよく覚えていない。
それから初めて、彼女は授業で習ったはずの救急救命の手順を踏んだ。まだ佐伯の体は温かい。首が吊られてからそんなに時間が経っていないということだ。吐き気を催しながら、それでも彼女は佐伯の胸元を何度もマッサージした。だが、再びの鼓動を聞くことはできなかった。
「なんで……なんでっ……!」
やがて救急車が来て、ざわめきと悲鳴の中、佐伯は運ばれていった。いよいよ吐き気が本格的になって、彼女がトイレに駆け込んでいる間に、無情にも救急車は行ってしまった。