最終章 誕生

葉山は突如としてうずくまり、ナイフを箱から出すと、強く抱き締め始めたのである。
制御の利かなくなった電気人形のように、全身に伝わる震えを存分に表現しながら、彼は止めることができなかった、己の中から湧き上がってくる、止め処ない嵐のような津波のような、純粋なる歓喜を。
それを『狂気』とラベリングするのは至って容易で傲慢な行為だ。しかし彼は今、気付いてしまったのだ。ただ一途に、愛しい、と。
「ふ……っ」
漏れた声は、すぐさまいびつな笑い声へと変貌する。
ガクガクと身を震わせ、息を漏らし、若宮の頬を両手で撫でまわす葉山の姿を見て、篠畑は満足そうに微笑んだ。悠然と机に戻ると、腰をおろし、少し冷めた紅茶を一口飲む。
「……愛が、見つかったようですね、葉山君。いや……Mr.とお呼びした方が相応しいかな」
ゆったりと頬杖を付き、篠畑が言う。葉山はしばらく、息の抜けるような乾いた笑い声を垂れ流し、その場で篠畑の言うところの『自然な姿』を晒していた。
なんとも淫靡で美しい。その姿はまるで、愛を知ったばかりの幼子のように奔放で、愛を求める放浪者のように儚げだ。朧な意識の中で、葉山はたった一つの感情に自分が支配されていくのを感じた。
その想いに名を与えるとしたら、それが『愛』なのだろうか。
「Mr、今君が認識している世界は、どんな色をしていますか?」
「……」
葉山は篠畑を一瞥すると、若宮の首に話しかけるように、
「――仄暗い白と、瞳の赤」
そう呟いた。篠畑は一回だけゆっくりと頷き、
「それはきっと、綺麗なのでしょうね」
「……」
葉山はそれには応答せず、両目にまるで篠畑の生き写しのような暗い光を燈しながら、ゆらりと立ち上がった。
ナイフを掲げるようにしてしばし見つめる。そして、極めて気まぐれに、彼は若宮の唇に自分の唇を重ねた。それから何度も、彼はキスをした。まるで、失った何かを取り戻すかのように。
おやおや、と篠畑は首を傾げ、
「センチメンタルの欠片も無い……何とも美しい光景ですね」
そう独りで呟いた。