その日は東京では珍しく雪が降っていていた。予報では雨の筈だった。
彼は警視室の中からちらつく雪を見ていた。
黒のソファに腰掛け、白い断片がアスファルトに積っては消えていく様を眺めていた。
……この儚さはまるで、俺の人生そのものではなかったか。
予報は外れたが、予想通りだ。そして――予言通りだ。
「窓を、開けてくれ」
恭介は部下にそう伝えた。一瞬不可解な顔をしたその部下だったが、何も言わずに部屋の窓を開ける。
「寒いな」
「はい」
「……」
別段、ドラマなど必要ないのだ。そんなものが無くても、この世界は十分に滑稽なのだから。悪夢の舞台の演出家は、この俺に何を求めただろうか。いや、そんなことはもうどうでもいい。
だからラストくらい、俺から花を添えてやってもいい。どうせこんな陰惨な舞台だ、俺の首が一つ加わったところで誰が泣くわけでもない。そう――誰一人の人生にも干渉できない。俺はどこまでもどうでもいい存在だった。
人命が凌辱されることなど、腐るほどに見てきたこの眼だ。何もかもが、今更だ。この魔都市では、どんな情も不条理の前には敵わない。
――約束ですよ、恭介。
突然、恭介の口角が鋭くつり上がった。
「若宮警視?」
「……違うな」
「え?」
戸惑う部下の目の前で、恭介の両腕が禍々しく変容していく。現れたのは、三本の爪。それは、愛に背かれた証。
「偶然は、必然だろう」
「な……!」
『彼』は、最期に『セイ』を繋ぐことにした、ほんの気まぐれに。鋭い爪先をぺろりと舐めると、息を長く吐く。獲物を見定めた目で、
「名前は、聞かないでおこうか」
そう言って、その近くに『偶然』いた部下の手を強引にひっぱると、
「何をするんですか――」
呪われた爪先で引っかき傷をつけた。血がじんわり滲む程度の、ほんの小さな傷を。
「あ……!?」
それだけで、十分だった。
セイを繋ぐのが生命の自己証明、存在理由の必要性が欲望を正当化させるのならば、『彼』もまたこうして繋がるのだろう。
セイを繋ぎたかった。こんな下らない理由で、偶然その場に居合わせたために舞台に引き擦り出されたのは、後に葉山大志の先輩となる、名も残らない哀れな男であった。
「さようなら」