世界の終わりのその後に、ふたりは朽ちた一軒家で小さなレストランをはじめた。決してお客さんは来ない。それでもふたりはキッチンに並び、残された時間を丁寧に暮らしている。
「コロッケは意外と、手のかかるメニューだね」
じゃがいもの皮を一つひとつ剥きながら彼女がこぼすと、彼は「死にたい」と漏らしてから
「手のかからない料理なんて、ないんじゃない」
と、憂いを煮詰めたような声をあげて、しばらく笑い続けた。
過日の彼曰く、下ごしらえとは愛の萌芽のことで、盛りつけとはその愛を差し出す行為なのだそうだ。
真っ赤な雪の積もったこごえる朝、くちばしがアマリリスのつぼみのように六つに裂けた極彩色の小鳥が窓辺にやってきた。真綿色の実を運んできてくれたのだ。彼は「おいで」とその小鳥を招き入れ、慣れた動作で左腕にとまらせた。彼女が「わぁ!」と歓声をあげる。
「その実の種を植えたら、甘酸っぱい実がたくさん採れるかな」
「知らない」
小鳥がつぶらな眼を彼に向けてちょこっと首を傾げたので、彼は優しく微笑み返した。
その日のディナーには、彼女が今まで見たことのない色をした唐揚げが藍色の皿に並んだ。
その年三回目になる桜の満開を迎えた霜月のこと、彼の得意なはずのオムライスの卵のドレスが、フライパンから移すときに端から破れた。珍しいことだ。
彼は安いスナック菓子でもつまむような感覚で(あるいは深淵よりこちらを手招く悪魔をどうにか手なずけるために)「死にたい」と呟く。それからくだものナイフでまな板の上の空気をトントンとリズミカルに刻みはじめる。焦燥感に満ちた瞳で鋭利な切っ先を凝視し続けているその姿を見た彼女が、ふうわりと笑った。
「ねぇ、生きるってきっと楽しいよ。苦しみも痛みもコミコミで楽しいんだから、本当に素敵だよね。私、たとえあなたがそうやって狂ったままでも構わない。だってもう誰も、それを咎めたりしないんだから」
柱時計がぴたりと正午を報せる。それを合図にしたかのように、おずおずとした手つきで卵を割るところからやり直す彼。彼女が新しい皿を準備しながらあくびをすると、もう流れないはずの涙が、ぽろりと頬を伝った。
撃ち落とされた星のかけらが、金色に燃えながら紺碧の空を泳いでいく。変わることなく薄紅色をした桜の花びらが舞い踊るキッチンで、彼女は彼の頬に口づけた。
どこかで世界が胎動したことを、ふたりはまだ知らない。