「あ、ああ――……」
彼の意識が揺らぐ。認識する現実が、彼を嘲りだす。
世界に刃を向けられ、彼は、日常から堕ちる。
どこかの世界の密やかな妄想
ただ、そこに居るものが、在るものが、彼にとっての揺るぎない真実。たとえそれが幻想であったとして、その事実が彼を動揺させることはない。そう、誰もが他者の幸せを定義できないように、誰もが誰かの幸せを否定することはできない。それこそ「愚問だよ」と、箱庭の中の彼は微笑みながら言うのだろう。幸せを両目に灯しながら。もしくは欲望に囚われた潤んだ瞳で。
「――約束したよね? 幸せにするって。君を必ず『愛するから』って」
愛情の規範化が、彼の心を束縛し、箱庭の壁を厚くする。愛情の名のもとに、何もかもが肯定される世界に生まれ、愛を求めて彷徨い、愛の所為にして好きなだけ苦しめる。
俺は、幸せだ。
誰も知らない夜に、彼は彼女を想って煙草をふかす。震える指先で、そっと白い肌に触れながら。壊れてしまいそうに儚く、美しい素肌は自分こそが守らなければならない。
そうしないと来るよ。赤い目の天使が来るよ。
讃美歌でも歌うような高音、赤子の泣き声、歪曲する生活音、色鮮やかな空想。彼の胸を夜な夜な支配していたのは、あまりにも残酷で美しい光景だった。
PROLOGUE 僕らは幸せです。
5月23日、晴れ。僕は緊張と興奮で昨夜、眠れませんでした。けれど全然疲れてはいませんでした。
ユイのウェディングドレス姿を見た瞬間、僕はため息をつきました。長い長い、澄んだためいきを。
「綺麗だよ」
僕のコトバにユイは頬を赤らめました。僕は彼女のこういう素直なところが大好きです。
「ありがとう」
クリスチャンの彼女のために、式を教会で挙げることは決まっていました。ただ、指輪選びにはえらく時間がかかりました。――これから一生身につけるものだからです。リングの内側には二人のイニシャルと今日の日付を入れることにしました。
S&Y 2007.05.23
誓いの言葉は殆ど耳に入りませんでした。僕は必死に、震える手でユイの左薬指に指輪を嵌めました。レース越しにユイが涙ぐんでいました。僕はそれをそっと上げると、涙を指で拭って、もうあとは夢中でユイの唇にキスをしました。
5月の薔薇達が僕達を祝福してくれました。拍手も、鐘の音も、すべてが僕を祝福してくれているようでした。
僕らは幸せです。
僕らは幸せです。
僕らは幸せです。
PHRASE1 冬の朝へつづく