数百年前の予言者の偉大なる予言があっさり外れて、世界に「新世紀」が訪れてから数年。だが、時代錯誤な妄想は日常に潜んでいた。
真っ赤な眼をした天使達が街に降りてくる。羽根をばたつかせながら、笑い声をあげながらやってくる。昆虫のような複眼で狙っている。映し出される人間は必ず、ユイ。
ユイはいつもの通学路をお気に入りのコートを着て歩いている。ユイが気づいたときには天使達は彼女の目の前にいる。『選ばれた』のだと言って天上へ連れて行こうとする。
僕はそれに気づいて急いで部屋を飛び出すのだが、ユイは目の前で槍に突き刺され、天使達は祝福の詩を謳いながら、ユイの遺体を抱いて天上へと還っていく。僕は絶叫する。
……そこで目が覚めるのだ。最近いつも同じ夢を見る。征二はうなされて起きると、時計を見た。まだ午前3時をまわったところだ。隣ではユイが穏やかな寝息をたてている。
征二はほっと息をつくと、冷蔵庫に向かった。そしてパックごとお茶を飲んで、初めて自分の鼓動が早いことに気づいた。失ってしまう。いつか、この愛しい人を失ってしまう。それは予感ではなく確信に近かった。征二は必死に首を振った。
冗談じゃない。そんな事、受け入れられない。落ち着かなくて、テレビをつけた。砂嵐だけが映し出された。
「……」
ばかばかしい。ただの夢じゃないか。征二は自嘲した。そしてすぐにテレビを消すと、再びユイの横に寝そべった。
しかし、なかなか寝付けない。征二は何かを確認するようにユイの頬をなでた。再び、ユイのすべてを愛撫したいと思った。けれどユイの寝息に、自分の浅はかな欲望はあっさりとうち消される。征二は微笑んだ。
おやすみ、ユイ。
本当は寝るのが怖かった。またあの夢を見てしまうような気がして。けれど、あれは夢だ。夢なのだ。
征二はそのまま寝付けずに朝を迎えた。
目を覚ますと、征二がもう着替え終わっているのでユイは慌ててベッドから這い出た。
「ご、ごめんね、あたし、寝ぞう悪かった?」
「ううん、大丈夫……ていうかユイ、その格好」
ユイは自分が昨夜、抱いてもらったままの一糸まとわぬ姿だったことをすっかり忘れていた。
「あ、わ、わわわ! やだ、ああもう、ごめんっ」
「謝らなくていいよ。早く服を着た方がいい。風邪ひいちゃうよ」
征二は微笑んだ。
「朝ご飯、俺が作るから。授業午後からだろ?」
「うん、ありがと」
征二はユイの頭に手を置いて、ぽんぽんと叩いた。
「本当に、ユイは慌てんぼうだな」
「もうっ、征二のいじわる!」
「はは……」
これでいいんだ。きっと。こういうのを、『幸せ』っていうんだ。
今期の冬は東京に雪をもたらさないとの予報が出ていた。今日も寒いが、それも雨になりそうだ。
「じゃあ俺、今日はバイトだから。サークル終わったらまっすぐ行くよ」
「うん。鍵はポストの中でいいよね?」
「ああ」
征二は傘を持って家を出た。階段を降りようとした瞬間、めまいがした。
……寝不足だからか?
クリスマスが近づいてきた。ユイは街を歩いて、プレゼントを探していた。手作りで何か贈ろうとも思ったが、それは誕生日にストラップを送ったし。しかも、かなり不器用な出来の。でも、征二はちゃんと携帯につけてくれている。
やっぱ、嬉しいよね、うん。
吉祥寺の雑貨店通りを通りかかった時、かわいいステーショナリーグッズを見つけた。四つ葉と天使をモチーフにしたペンケース。そうだ。プレゼントするときは、自分の好きな物を贈るといいんだよね。ユイは迷わずその店に入り、男性用のそのペンケースを買った。征二、喜んでくれるかな。メッセージカードもつけることにした。
これで、完璧!
街はイルミネーションに彩られ、音楽も賑やかだ。しかし、征二は疲れていた。クリスマス・イヴにバイトが入らないように何とか店長にはかけあって約束してもらった。プレゼントももう用意してある。が、なぜかイライラした。
街のあちこちに、かわいいイラストの天使達が踊っている。それがたまらなく不快だった。
赤い眼をした天使達は、その後も毎晩のようにユイを殺した。そしてその夢は、徐々に征二の精神を蝕んでいった……。
クリスマス・イヴ。二人はきらびやかなイルミネーションより静かな場所を選んだ。井の頭公園で、散歩をした。どちらともなく手を繋いで。池を一周した頃、ベンチに座った。
「寒いね」
「うん」
「ねぇ征二」
「何?」
「あのね……あのね」
ユイにしては珍しく口ごもった。征二がそうなることはしょっちゅうなのだが。征二は彼女のその表情がたまらなく愛おしくなって、うつむいたユイのあごにそっと手をあてて、口づけをした。
「ん……」
ユイはバッグを落として、征二の体に腕を回した。征二もそれに応えるようにユイの頭を柔らかく包んだ。少ししてお互いに唇を離すと、二人はぎこちなく笑った。
「外でこんなことするの、初めてだね」
「恥ずかしかった?」
「誰かに見られちゃったかなぁ」
確かに周囲にひと気はあったが、皆カップルのようで、他を気にするようなことはない。
「かもね」
「えへへ、羨ましいだろー!」
ユイはふざけて足を組んだ。征二は思わず吹き出した。
「ねぇっ。プレゼント交換しよ」
「え、今ここで?」
「いいじゃん。キスまでしたんだよ? 私たち」
「まぁ、ねぇ」
征二はダウンジャケットのポケットから小さな箱を取り出そうとした。しかし、その前に、ユイがバッグからプレゼントを出して彼に手渡した。
「開けて!」
「あ、ああ」
青いリボンをほどくと、中からペンケースが出てきた。
「へぇ、ありがと……」
しかし征二は顔を強ばらせた。
「?」
ユイはもっと喜んでもらえると期待していたので、征二のリアクションに疑問を抱いた。
「ありがとう、大切に使うよ」
「う、うん」
もしかして気に入ってもらえなかったのかな? とユイは内心がっかりした。だが、征二の内心は穏やかではなかった。
天使。ユイが天使を選んだ。
「征二?」
荘厳な鐘の音が、征二の頭の中で鳴り響き始めた。征二はペンケースに描かれた天使に見入っていた。やはり選ばれてしまうのか? ユイは、『奴ら』に選ばれてしまうのか? そうだ。間違いない。天使が。奴らがやってくる。
「ね。あたしにもプレゼント、あるんだよね?」
「あ、ああ」
征二はハッとして、かすかに震える手で箱を取りだした。あれは夢、夢だ。ただの夢だ!
「気に入ってもらえるかわからないけど」
「あはは、こういう時いつも征二って、弱気なコト言うね」
「そうかな」
箱から、クリスタル製の小さな熊がでてきた。
「わぁ、かわいい!」
「指輪も、キーホルダーもあげたから、正直何を選んでいいのかかわらなくって」
「嬉しい」
征二は泣きそうになった。そして決意した。この笑顔を、失うわけにはいかない。ユイは、俺が守る……奴らから。
PHRASE7 忘れてくださいへつづく