君は人間が全て同じ顔、同じ表情に見えると言っていたね。他者の喜怒哀楽、そのどれにも興味がないと。
例えばそのことに私が心を痛めていたとしても、君は平気で微笑むんだろう。
「それは、つらかったね」
などと、優しい言葉を巧みに操って。
例えば道に倒れた人がいても、見て見ぬふりがあまりにも上手いから、誰も君がその人を見捨てたとは思わないんだろうね。
ところで、辻堂あたりの海辺に春の落暉を見つけたけれど、煌めく地平線にさえ動かないのか、君の心は。君のその、目と肌と脳が認識する世界は。何故そこまで不動なんだ、君の心に染み付いた無駄のない生存否定学は。
君にたまに罪を告白する人がいるでしょう。何かを勘違いしてね。そんな人に対してさえ、
「あなたを許すのはあなた自身だから」
などと言うんだろうね。しかも、その言葉に実際救われた人がいても、君の心は1ミリも揺らがない。
他人の喜怒哀楽を調理するのは、そんなに簡単なことだったのかな。
君にとって何が嬉しくて、何が腹立たしくて、何が哀しくて、何が楽しいんだろう。
何もわからないことが、こんなにも私の心を引っ掻くんだ。一体どうしてくれるんだよ。
嬉しかったら笑う、とか、悲しかったら泣く、とかね、そこまで器用になれなくてもいいから、せめてそのひしゃげた神経に触れさせてほしい。
カルテ片手に君は珈琲を啜る。ページをめくりながら何を想うのだろう。
君ほどカウンセラーに不向きな人を、私は知らない。