「人魚はね、金魚を食べた人間の成れの果てなんだ。くちゃりと音を立てて食べられた金魚の恨みが、人間を人魚へと料理していく。だから、金魚は食べちゃダメだよ」
その話を祖母から聞いた調律師は、どうしてもその「くちゃり」が聞きたくて、ピアニストの少女を雇いました。調律師は頼みました。
「ショパンを弾いてください。できれば幻想即興曲がいい」
少女はとても素直だったので、幻想即興曲を弾き始めました。しかし、あまりにピアノの調律が整っていないので、途中で手を止めて嘆きました。
「これじゃ、ショパンに失礼です」。
調律師はこみ上げる笑いをかみ殺します。
「それはすみませんでした。今、調律しますね。そこに座って待っていてください」
「ええ。私、こんな朝早くからお呼び出しいただいて、とてもおなかが空いています。テーブルの上の果物をいただいてもよろしいかしら?」
「どうぞ。果物だけではなく、なんでもお召し上がりください」
それから、待てど暮らせど調律は終わりません。
ド、の音がずれると調律師は言い張るのです。
そんなことはないと少女は反論します。リンゴも、バナナも、マンゴーも食べ終わってしまいました。
一刻も早く少女はピアノを弾きたいのに、調律師は時々こちらをちらりと見るばかりで、作業を終える気配がありません。
少女は目を潤ませて懇願しました。
「私、ピアノに謝ります。だから、弾かせてください」
「そんな必要はありません。もしもまだおなかが空いていたなら、なんでも召し上がってください」
「もう私、果物は嫌。なんでもいいのかしら」
「ええ、なんでも」
少女は軽やかに調律師に飛びかかると、調律師の右手首を「くちゃり」と音を立てて食いちぎりました。
「ああ、この音か」
調律師は恍惚とした表情で呟きました。少女はみるみるうちに調律師を平らげ、満腹になった途端に人魚へと戻り、鱗をビチビチ言わせながら遥かなる海へと帰っていきました。
全てを見ていたのは、水槽の中の金魚だけでした。