第十一話 糸(予感)

気疲れして、笹塚駅のドトールのカウンターに身を沈めてしばらくぼーっとしていたら、目の前に置いたスマホが鳴った。彼からのラインだ。
「どこにいるの?」。
ん? 南口のドトールって送ったはずだけれど。
続けてラインは送られてくる。
「南口のドトールにいるよ。どこ?」
(え?)
私はほとんど本能に近い勘でもって、「笹塚駅 ドトール」とスマホで検索した。
予感はあっけなく的中した。

笹塚駅の南口には、ドトールが二軒あるのだ。

(わー、まじか)

私は慌てて彼に電話をかけた。時刻にして18時34分。34分間も、私は彼との時間を無駄にしたのだ。悔しくて、申し訳ない気持ちが伝わったのか、電話はすぐに通じた。
「あ、ごめん! 私、そっちじゃない方のドトールにいるの」
すると彼は、まるで噛み合わないことを返してきた。
「ついさっき、みたいだよ。来るのが間に合って良かった」
「え、何が?」
すると彼は、ふふっと笑った。
「笹塚駅で人身事故だって。京王線、運転見合わせらしい」
「えー!」
私は叫んでから、周囲の冷たい視線に気づいて、ちょこっと頭を下げた。そして彼への抗議も込めて、小声で続けることとした。
「それ、全然良くないから。間に合って良かった、とかそういうんじゃないから」
私の言葉も虚しく、彼には響かない。彼は明日の天気でも話すような口調で言った。
「制服姿の学生さんが、特急列車にダイブしたんだって」
私は一気に気分を害した。
「なんでそんなことわかるのさ」
語気を強めるも、彼はそれをのらりくらりとかわすように、わずかな愉悦さえ込めて言ってのけた。
「つぶやきで知れるんだよ。便利な時代だね」
「嫌な時代!」
私が吐き出すように言っても、彼には一向に効く気配がない。私の中だけで焦燥が高まっていく。私は自分を落ち着けるために深呼吸してから、
「とにかく、会おう。せっかく来てくれたんだから」
と言った。しかし、彼はイエスとは言わなかった。
数秒、間を置いてから、
「『とにかく』に、『せっかく』か」
少し冷たい口調で言った。
「え?」
「所詮、他人事、だもんね」
そう言って、プツリと電話は切れた。戸惑うばかりの私を残して。
「……?」
それから、何度掛け直しても、彼は応答しなくなってしまったのだ。
困ったな。……仕方ない。もう一軒のドトールに私が向かえば済む話だ。

その前に気になって「鉄道情報」をスマホで見てみた。彼の言っていた通り、実際になんらかの事故は起きたらしい。ただ、人身事故ではなく「架線に飛来物」と「安全確認」のため、一時的に運転見合わせになっているとのことだった。
ネット上のつぶやきの信憑性の低さを改めて認識している自分がいた。

「他人事、だもんね」。

電話越しに言い捨てられた彼の言葉がいやに引っかかって、私の思考を鮮やかに支配する。
なぜ彼はそんなことを言ったのか? なぜ列車への飛び込み事故なんてものをでっち上げたのか? 彼が、つぶやきを本気にしたとは到底思えない。なぜ、なぜ。

私は自分の中で、嫌な予感を束ねる糸がふつっとほつれるのを感じた。たちまち予感たちが、暴れだす。

考えるよりも早く、足が動き出していた。

(構ってちゃんもここまで来れば、芸術的だよ、まったく!)

予報になかった小雨が降り出して、私の行く手を笑う。それでも止まるわけにはいかなかった。こんなことで諦めてたまるか。私は、負けるわけにはいかないのだ。

高めのヒールがどこまでも疎ましかった。バス停の横を通り過ぎた時、ラインの着信音が鳴った。私は乱れる呼吸を必死に整えながら、通知を開いた。

「Bonne baye」。

……心臓が、止まるかと思った。

バカか、フランス語なんかで気取りやがって。少なくとも5月25日までは、生きるんじゃなかったのかよ!

第十二話 セバスチャン