第十一話 パセリ

中野は、真弓に優しく語りかけた。

「真弓ちゃんさ」
「はい」
「恋、してるんだね」
「へっ!?」

意外な言葉に、真弓は首を横にぶんぶんと振る。追い討ちをかけるように、その横で腕組みをしていた彰が、

「典型的な恋煩いだな」

そんなことを言うものだから、真弓は赤面してしまう。

―――なぜだろう、胸がひどく痛い。

彰は解説者のような口調で言った。

「拍動数が上がっている。心の運動耐容能がいっぱいいっぱい、といったところだな」

真弓は気恥ずかしさからしどろもどろになり、

「私は、ただ、人生相談がしたかっただけですっ。恋愛とか、そういうのがそんなに人生で必要なのかどうかって……」
「恋愛は、パセリのようなものだ」

彰は相変わらず怜悧冷徹な口調で言う。

「パセリ?」

虚をつかれたようになる真弓。中野は「なるほど」と手をポン、と打った。

「ないよりあったほうが、彩りになる。なくても大丈夫だけど、味気ない。たまに欲しがる人もいる。そういうことかな?」

中野の模範解答に、彰は頷いた。

「真弓。君はパセリに頭を悩ませるほど暇なんだな」

その言葉には、さすがの真弓もカッとなった。

「どうせ、私はパセリ患いの平凡な人間ですっ」
「わかってるじゃないか」

真弓は泣きそうになるのを堪えて、「誰のせいで……」そう言って、ハッとした。

誰のせいで。

……誰のせいだ?

真弓は突然バタバタと身支度をすると、

「マスター、ごめんなさい。今日はもう帰ります」

そう言って足早に帰宅してしまった。

後ろ姿を見送った中野は、彰に向かって

「なぁ、彰。君のひねくれっぷりもここまで来たら芸術だよ、まったく」
「それはどうも」
「別に褒めてない」
「………」

中野は苦笑いを浮かべる。それとほぼ同時に、彰はスッと姿を消した。


家と人に歴史あり。古民家カフェは最近ずいぶんと増えたが、実は改装にあたってかなりの苦労があることを知る人は少ない。

『アリスの栞』を開くとき、中野はこの家の持ち主とかなりもめた。何を隠そう、その持ち主というのが中野の祖母だったからだ。

「ご先祖様に申し訳ない」

というのが祖母の想いだった。それを知っていて中野は、

「だったら、こんな街中に放置しておく方が、『ご先祖様』も悲しむよ」

と主張したのだが、

「絶対に嫌」

と、祖母は晩年まで気持ちを曲げなかった。その後、老衰で祖母は亡くなった。

祖母のことを想えば、一度は『アリスの栞』の開店を断念しようと考えた中野だったが、遺品を整理していた時に、祖母の日記が見つかったことで、事態は大きく前進する。

日記には、走り書きで詩がしたためられていた。

風は吹けども涙は去らぬ
命に限りがあればこそ
意味は自ずと生まれくる
愛してくれてありがとう
世界を愛してくれてありがとう
痩せた肺から息を吐けば
きつとあなたは笑つてくれる

日記を最後まで読み、この詩の意味するところを知った中野は、果たして『アリスの栞』を開く決心を固めたのだった。


「で、佐々木くんと、どうなった?」

香織の率直かつ不躾な質問に、真弓は眉間にしわを寄せた。つついていたパスタをフォークでくるくると巻きながら、ぶすっと答える。

「別に、何もないよ」
「なんで!?」
「なんで、って……何もないから、何でもないんだよ」

香織は、「あー、あぁ~」と意地悪く笑って、

「ほかに好きな人、いるんでしょ」

そんなことを言うものだから、真弓は本気でせき込んだ。

「ちょ、ちょっと……、勘弁してよ。香織みたいに恋愛に生きていないの、私は」
「そっか、生きてないのかー」

香織には全く他意はないようだったが、別の意味にもとれるその言葉に、真弓は思わず赤面した。

「お、どうした?」

すかさず、香織がツッコむ。真弓はボソッと、「……悔しい」と言った。

「悔しい? 何が?」
「パセリを欲しがるバカな自分が、悔しいのっ!」

真弓の恐ろしい自覚は、『パセリ』という言葉と共に吐き出されてしまった。

第十二話 チラシ に続く