第十二話 チラシ

『アリスの栞』がある街にある地名、旭町と暁町。ここが朝焼けと夜明けをそれぞれ司っているという伝説は、細々とではあるが若い世代にも受け継がれている。
夜が明ける頃、ハルコは畏まった表情で、旭町のとある神社に参詣に来ていた。拝み終えて、目を開けるとそこには、ホウキを持った宮司が参道を掃除していた。

「ハルコちゃん、おはよう」
「あ、おはようございます」
「若いのに偉いね。今時珍しい」

そう言われて、ハルコは頬をかいた。

「別に、偉くなんてないです」

そして、ギターケースを抱えると、宮司に一礼して、こんなことを言った。

「願いって、生きてる間しか、叶えられないんですかね」

その質問は、普通なら眉をひそめる類のものだろう。しかし、宮司はホウキを止めて真面目な顔をした。

「拝むのが、自分のためだけである限りは、成就しないかもしれないね。でも、ハルコちゃんはわかってるんじゃないかな? 自分がなんでここに来るのか」
「………」

ハルコはもう一度軽く会釈すると、早足に神社を後にした。


「隠し事は良くない」

ある日の営業終了後、カフェスペースに現れた彰は開口一番、そんなことを言った。この日は、真弓は来ない日だ。中野は後片付けに追われていたが、彰の言葉に耳を傾けて、「何さ、隠し事って」と問うた。

彰は不機嫌な表情で、しかし中野には応答しない。ヘッドフォンからは盛大にWWMの曲が音漏れしている。アコースティックな曲が音漏れするのだから、よほどの大音量なのだろう。

「新しいヘッドフォン、いつ買ったの?」

中野は素朴な質問をするが、彰はやはりそれには応えず、独り言のように、イライラとした口調で言った。

「筋は通すべきなんだ。託すなら託す、隠すなら隠す。でも、隠し事は良くない」
「………?」

彰の手元には、中原中也の詩集が開かれていた。そのページに載っているのは、『春日狂想』。その出だしにはこうある。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

それを見た中野は思わず沈黙してしまう。中原中也は確か、彰とほぼ同年代のはずだ。明治時代末期に生を受け、昭和初期に短い人生を病によって閉じた。生涯で350篇近くの詩を遺したという。

彰が春日狂想を読むときは、決まって『秋子』のことを想っている時だ。

「本当に悲しい時には涙は流れない。ニンゲンの体はココロに嘘を吐くようにできている」

彰は独り言を続ける。頭をがしがしと掻きながら、

「だから、嘘は人生の重要な要素なんだ。人はココロに嘘をついてまで生に固執する」

やや神経質にそんなことを言うものだから、「彰……」と、中野はそっと呼び掛けた。

「悲しいのかい」

しかしそれは彰の耳には入らない。

中野は手元にあったチラシに目を落とした。

ワンダーワールドメーカーフリークスVOL.34
2017年10月14日(土)19時開場
出演:lyrical Lillie、ひなたぼっこズ、bookmarker、and more!

しっかりばっちり、チラシに名前が載っている。これは、中野が自分たちを追い込むためでもあった。

「おーい」

聞きなれた声に、中野はハッと顔を上げた。カフェスペースに続く階段から、ひょっこり顔を出していたのは、古谷涼介だ。

「ドアベルをいくら鳴らしても返事が無いから、いないのかと思ったよ」
「涼介……、ごめん。ちょっとボーっとしてた」

涼介は周囲を見渡した。

「ハルコは?」
「今日はまだ来てないよ」
「珍しいね。パンクチュアルなのがいいところなのに」
「現代人は時間を気にしすぎだよ、きっと」

ちらっと中野は彰を見やる。
彰はずっとぶつぶつと何か言っているようだったが、急に立ち上がったかと思うと、

「やっぱり、このままじゃいけない。いつ認めるっていうんだ」

ヘッドフォンを外して、大声を出し始めた。

「認めがたい、認めがたい!」

中野はさすがに心配になって、「彰、どうした」と近寄るが、彰は若干、錯乱しているようでもあった。なおも彼は叫ぶ。

「面影、中也、平成、時空間、すべてすべて嘘だ!」
「え?」

彰が手にしていた詩集の、『春日狂想』の次に載っていたのは『おまえが花のように』。知る人ぞ知る、中原中也の恋愛詩だった。

第十三話 存在確率 に続く