待ってたよ、疲れた?
そう言いかけた私をさておいて、彼はなんの躊躇もなく私の家に入ってきた。
「ちゃんと食べてる? 暖かくして、睡眠もしっかりとらないと」
「……そうだね」
まるで、昔からそうであったかのようにごく自然に、彼は私がいつも座っている位置のトイメンに座る。
「これ、食べられる? 銀だこのたこ焼き」
「うーん」
体調の悪いときに、油たっぷりのたこ焼き。建前としては「やだ〜食べられな〜い」となるべきなのであろうが、ソースの香りが鼻腔をくすぐる。
「少しだけ、なら」
これも、精一杯の強がりだ。彼はニコッと笑い、
「良かった」
袋からたこ焼きを取り出した。
……なんだ、そういう顔も、できるんじゃん。
「じゃあゲーム開始だね」
「ゲーム?」
訝しがる私をよそに、彼は至って楽しそうに、10個並んだたこ焼きを指差した。そしてとんでもないことを告げる。
「この中に一個だけ、わさび山盛りのたこ焼きがあります」
「はぁ⁉︎」
まさかの発熱時☆ロシアンルーレット、ってか。
「まさか、食べないなんて言わないよね」
「なにそれ。『勝負』のつもり?」
冷たく突き放したつもりの私だったが、彼は飄々とした表情で、
「もちろん」
とだけ応答した。
私は逡巡した。彼氏(?)が初めて家にやってきた。誰がどう考えても胸キュンなシチュエーションに臨んで、なにが悲しくてたこ焼きロシアンルーレットに挑まねばならないのか。
「じゃあ、僕からいこうかな」
「待って」
私はすっくと立ち上がり、手早くたこ焼きを耐熱皿に移し替えて言った。
「せっかく食べるなら、温めた方がいいよ」
「それもそうだね」
I got it!
私が鼻歌でショパンの「葬送行進曲」を歌ってみせると、案の定、彼はそれに反応した。
「なんでまた、その曲なの?」
「そういう気分だから」
600ワットで、40秒。これだけあれば、十分だろう。
「君にも、そんな気分になる時があるの?」
スイッチ、オン。
「まぁね。人間だもの」
「by みつを」
彼がそうおどけると、私もふきだして笑った。二重の意味で、だ。
ひとつめ。彼の戯れに対して。そして、二つめ。
(勝った)
ポン、とポップな音がして、電子レンジで加熱されたたこ焼きたちはあっけなく切腹する。
「あー!」
私はわざとらしく声を上げた。
「ごっめーん! たこ焼き、右側の真ん中のやつから、わさびが飛び散っちゃったみたーい! やだ〜」
「えっ⁉︎」
彼が気付いたときには、時すでに遅し。電子レンジの中はわさびまみれ。
つか、本当に仕込んでたのかよ。
「残念ながら、本日の勝負はこれにて終了です」
私が勝ち誇った顔でそう言うと、彼は悔しそうに呟いた。
「静岡県産の本わさびだったのに……」
「そこかい」
「決めているんだ、君に毒を盛るなら、とっておきを、って」
「何を決めてるんだよ、何を」
「愛ゆえだよ」
突然すぎるその単語に、私は目をパチクリさせた。
「……はい?」
「愛がすべてをおかしくする」
「どうしたの……」
「僕の、認識する世界は、愛で歪められる。愛された記憶というのは、人を縛り付けて死ぬまで離さない。愛だ、すべては愛のせいだ」
「ちょ……落ち着いてよ」
しかし彼は、スイッチの入った電気人形のように言葉を止めない。
「死ぬまで愛が僕を離さないのなら? そうさ、解放のためには死ぬしかないんだ。ところが、君は僕に『生きろ』という。愛に拘束され続けろと言っているようなものさ。何が君をそうさせる? 全部、愛のせいだろ!」
そこまで言い切って、彼は憑き物が落ちたようにハッとして、
「……ごめん」
目を伏せた。
私は、自分の具合の悪さなどそっちのけで、
「あーあ」
電子レンジの中を覗き込んだ。
「ソースとわさびまみれだよ、この中」
「……」
「掃除しなきゃなぁ。まったく」
「……」
具合が悪いことなどこの際、もうどうでもよかった。彼が今しがた吐き出した想いを、私は受け止める必要がある。そう思ったからだ。
「炊事と洗濯は毎日でしょ。そこに電子レンジ掃除が加わるんだもんね」
私もまた、とんだ馬鹿だと思う。
「週末には買い物に行ってさ。たまには外食もしてさ」
だけど、馬鹿同士なら、ちょうどいいんじゃないかな。
「誕生日にはケーキを焼くのも悪くないね。あ、でも12月生まれの君の誕生日は、クリスマスと一緒にされるパターンか、あはは」
日々ってさ、日常ってさ。つまらないことと尊いことのミルフィーユみたいなものじゃない?
「混ざり合うから、味わいがあるんだよね、いいことと悪いこと、嬉しいことと悲しいこと、好きなことと嫌いなこと」
「……」
君はもう、何も言わなくていい。愛に苦しむなら、これからは一緒に、苦しもう。
「私と君、どちらが先に解放されるのか。これからそれを、見届けようか」
それが、私の彼からの推定プロポーズへの答えだった。