心底驚いた真弓であったが、彼女は元来、とても素直な性格だ。それを象徴しているのが、次のこの言葉である。
「あぁ、だからか……」
そう、真弓にはすぐ合点がいったらしいのだ。
「え、何が?」
ハルコが不思議そうに問う。
「この前、突然いなくなったの、その人が幽霊だからなんですね」
ハルコが怪訝そうな顔をする。
「えっと、もっと疑った方がいいよ。普通、こんな話いきなり信じないでしょ、そんなナチュラルに」
「でも、マスターの言ってた言葉の意味も、幽霊なら説明がつくんです。とても、納得できます」
ハルコは「アハッ」と笑った。
「マスターがあなたを雇った理由が分かる気がするよ」
「へ?」
「本当に、この街のこと、知らないんだね。まぁ、しょうがないんだけど」
そう言って、少し意地悪く笑った。
「番地の名前とか、あんまり深く考えないでしょ」
「番地の名前?」
「そ。この街にある、旭町と暁町。この二つはそれぞれ朝焼けと夜明けを司っているっていう伝承があってね」
途端に目を輝かせる真弓。
「そうなんですか!? なんか、ファンタジーみたいで素敵!」
「そう?」
ハルコは少しトーンを落とした声色で、こんなことを言った。
「この街、やけに神社仏閣が多いでしょう。それに加えて病院も」
「そうですね。駅前は賑やかだけど、山の方は、かなり風光明媚っていうか」
「風光明媚、ねぇ……」
真弓はハルコの言わんとすることが理解できず、首を傾げた。
「ワンダーワールドメーカーのことは、知ってる?」
「いえ、さっきマスターから初めて聞きました」
「そう」
そう言って、ハルコはギターを弾き始めた。穏やかで、でもどこか物悲しい旋律。真弓は思わず聞き惚れてしまう。弾きながらハルコが話すには、
「これね、WWMの代表曲。『アリスの栞』っていうの」
どうやらこれが店名の由来らしかった。
「どんな歌詞なんですか?」
真弓の問いに、ハルコはしかし答えなかった。
「目を閉じて。いい? さん、に、いち……」
「え?」
「早く~」
「あ、はいっ」
ハルコに言われるまま、真弓は目を閉じる。美しいメロディーにしばし耳を委ね、ハルコの爪弾く音楽を味わった。椅子に座っていたので、そのまま頬杖をついた。
なんて、心地のいい瞬間だろう。今まで経験したことがない感覚。ふわふわと雲の上に寝転がっているようにさえ感じられた。
『アリスの栞』の一番のサビまでを弾き終えたハルコは、
「オッケー、目ぇ開けて」
と真弓に声をかけたが、真弓はあまりの気持ちよさから眠ってしまっていた。
「ありゃまぁ」
「単純な娘だな」
降って湧いたように投げつけられた冷たい言葉に、ハルコは振り返ってカフェスペースの隅を見た。
「彰……!」
彰と呼ばれた青年は、肩をすくめた。
「そんな稚拙な演奏で眠れるなんて、平和な神経の持ち主としか思えないね」
「あんたねー!」
ハルコは立腹した。
「あたしの演奏はともかく、こんなかわいい子をバカにするの? ほんっと、これだから明治生まれは嫌」
「それは差別的だな」
「演奏を聴きたくなきゃ、ヘッドフォン音量をマックスにしておけばいいでしょ、いつもみたいに」
それに対して彰は、ヘッドフォンをわざわざ外してみせた。
「それが、ついに壊れたんだよ。マスターのお下がり、全然充電できなくなった」
「知るか。新しいの買え! Amazon本日着指定で今すぐポチれ!」
「そう言われても、俺には『あまぞん』の『あかうんと』がないから、ぷらいむ会員になれない」
「知るか」
「俺にだって買い物する権利はある」
「あたしにだって、のびのびdisられずに演奏する権利がある」
ギギーッと睨み合うハルコと彰。柱時計の秒針が動く音だけが、どこか間抜けに響く。
先に口を開いたのはハルコだった。
「まぁいいや。あんたに『貸し』、作ってあげる」
それを聞いた彰の方眉が上がる。
「この俺に対して、ずいぶんと横柄だな」
「その言葉をそっくり返却してからの、『代わりにヘッドフォン買ってあげます』。これ、どう?」
「………」
彰の眼光が鋭くなる。
「……悪くないな」
「よっしゃー! 契約成立。いい? 口外しないでよ、アカウントの貸借は本当は禁止なんだからね」
ハルコがノリノリでスマホを取り出すと、画面に夢中になって操作を開始した。
一方、彰は眠っている真弓の顔を覗き込むようにして、
「眠ってれば、そこそこ可愛いのにな」
ボソッと、そんなことを呟いた。
第六話 そういうこと に続く