第八話 軽率

「幽霊? なんの話かな」

そう言ったのは、他ならなぬ中野だ。真弓は「え?」と目をキョトンとさせた。

「あの、例のイケメンさんの件なんですけど……」
「まぁ、こんな古民家じゃ、幽霊の一人や二人、出てもおかしくないかもしれないけど」

(え? どういうこと?)

真弓が戸惑っていると、香織がこんなことを言いだした。

「そうですよね。私、真弓から聞いたとき、すぐにわかりましたよ、『ネタ』だって」

香織はふきだして笑う。中野は少しホッとした様子で、

「そっかそっか。なんだかごめんね」

と誤魔化すが、香織はさして気にしていないようだ。

「でも、来て良かったぁ。面白そうな本がたくさんですね。これ、買って上で読めるんですか?」
「ああ、あっちのコーナーにはブックカバーも売っているから、よかったら併せてどうぞ」
「急に営業モードですね」

ツッコミを入れて笑う香織。完全に置いて行かれている真弓は、状況がよく解せなかったが、ひとまず彰のことには触れないようにした。

「ごちそうさまでした。スコーン、美味しかったです」
「マスター、またWWMの話したいです!」

香織と市川は、すっかり上機嫌だ。

「じゃ、真弓、また大学でね~」

二人は手を繋ぎながら帰っていった。

真弓はどこか居心地の悪さを終始感じていた。マスターの態度に違和感を覚えていたからだ。客の入りが一段落したところで、思い切って声をかけてみた。

「あの……」

真弓が口ごもっていると、中野からこう切り出してきた。

「真弓ちゃん。頼むよ」
「へ?」
「彰のことなんだけど」
「はい」

中野はどこか神妙な面持ちで、コーヒーを淹れながら続ける。

「まさかあんなに簡単にバラされるとは思わなったよ」
「へっ?」
「トップシークレット、とまでは言わないよ。でも、彼のことは僕たちの大切な秘密なんだ。幸いだったのは、真弓ちゃんの友達が彰の存在を一切信じなかったことだよ。どこまでどう話したのかは知らないけど、これからは気をつけてね」

中野の表情は、いつもより引き締まっているように真弓には見えた。

「スミマセン……」

真弓はただ、謝ることしかできない。誰かの大切な秘密をたやすく口にするなんて、自分はなんて軽率なんだろう、と。

完全に『自分を責めるモード』に入ってしまった真弓に、中野はすかさず、

「ところで、相談なんだけどさ」

口調をガラッと切り替えた。

「この前、ハルコが言ってたみたいだね。真弓ちゃんのこと、『新しいボーカル』って」
「へ?」
「僕たちのバンド……『bookmarker』っていうんだけど。WWMのコピーだけじゃなくて、オリジナルも少しあってね」
「そうなんですか」
「ちなみに彰が作詞してる」
「そうなんですか!?」

驚く真弓。あの明治時代のイケメンさんには、そんな役割があったのか。

「ボーカルが今、いなくて。真弓ちゃん、やらない?」
「へっ!?」

真弓は首を何度も横に振った。

「無理、無理無理。無理です。私、カラオケくらいしか歌ったことないですし」
「ボイストレーニングならできるから」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、どういう問題?」

真弓は困り顔で、

「いきなり、そんなこと言われても……」

そう言葉をすぼめた。中野はニコッと笑って、

「即答はしなくていい。考えておいてよ、前向きに」

そう言ってBGMのレコードを取り替えに店の奥へ行ってしまった。

突然のオファーに、ただただ戸惑うばかりの真弓であった。


次の木曜の、アルバイトの日。

その日は客の入りもそこそこだったので、中野の提案で早めに閉店した。中野が店先の灯りを消してクローズドの札をドアに掲げると、それを合図にしたかのようにカフェスペースの隅に彰が現れた。テーブルを拭いていた真弓がそれに気づき、

「こんばんは」

と挨拶するが、彰は憮然とした表情だ。

「俺は別に認めてないからな」
「へ?」
「浅慮かつ軽率、加えて平凡。どこにもbookmarkerのボーカルに相応しい要素がない」

唐突にそんなことを言われて、真弓は驚くよりも怒りを感じた。だから、ふきんを握りしめたまま、抗議の声を上げた。

「別に、私から志望したわけじゃないです」

それを聞いて彰は肩をすくめた。

「じゃあ、断るんだな」
「それは、そうです。いきなりあんなことを頼まれても……」
「つまらない!」

彰が急に大声を出したので、真弓は驚いて身を一瞬縮こませる。

「そういうところが、つまらないんだ。平凡といよりはむしろ陋劣と言うべきかな」

彰の主張の理由に、自分自身にも心当たりがあるので、真弓はぐっと言葉を飲み込んだ。

「人生に刺激が欲しいと言いつつ、自分から踏み出さない人種が増えたとハルコが嘆いていたけれど、君の青春が無味無臭なのは、自分から踏み出す勇気が決定的に欠けているからじゃないのか」

そうなのだ。香織を妬む一方で、踏み出せた彼女のことを羨みこそするが、自分からは何もしない。受け身で何かを待っている。そんなことでは、いたずらに若さを費やすだけなのだ。それは、真弓自身もどこかでわかっていた。

「自分を変えたくて、ここに来たんじゃないのか」

彰の問いに、ぎくりとする真弓。まさか「古民家カフェで働きたい!」というミーハーな考え一つで応募したとは言えず、

「そう、です。そうですよ。あなたのおっしゃる通りです。私は、私を変えたいんですっ」

思わず、そうこたえてしまった。

第九話 落下 に続く