水曜日の午後、喫茶白鳩にて

しとしとと雨の降る夕まぐれには、決まって彼のことを思い出す。彼はこういう日にこの喫茶店に来ると、いちばん窓際の席に座って、ずっと外を見ていた。雨だれがガラスに打ちつけるのを寂しげに、しかしどこか楽しそうに眺めていた。

彼はいつも同じ文庫本を持ち歩いていた。気に入ったページにはよれよれの付箋が、青々と茂る芝生のように大量につけられていた。それでは意味がないのではと尋ねたことがあったが、彼ははにかんで首を横に振っただけだった。

注文するのはいつもシングルオリジン、それもマンデリンが多かった。酸味よりも苦みが好みだったのだろう、彼がミルクや砂糖を入れているところを見たことがなかった。

流行のカフェとは違うので、一杯の注文で何時間いてもらっても構わない。ときどき水を注ぐときに「失礼します」と声をかけると、彼はいつも小さく頷くのだった。

彼が来店するのは水曜日の午後が多かった。彼の身上について詮索したことはなかったが、風のうわさで物書きをしているらしいと知っていた。

あるとき、珍しく彼のほうから声をかけてきたことがあった。

「不惑という言葉がありますよね」

「ええ。確か四十歳のことでしたね」

「私、もうすぐその不惑なんです」

落ち着いた物腰から、もっと年上だと――自分と同年代だと思っていたので、正直驚いた。同時に、一人称が「私」であるということも、このとき初めて知った。

「皐月生まれなんですね。おめでとうございます」

その祝辞に対して、しかし彼は首を横に振った。

「四十を迎えても、惑わない自信が私にはありません」

「はは、それは僕も同じでしたよ。それどころか五十手前にもなって、ああでもないこうでもない、といまだに煩悩と迷いだらけで」

その日も雨模様で、梅雨のはしりと思しき気候が続いていた。窓を湿らせる霧状の雨粒が結合して、大きな滴をなして窓枠を伝っていくのを彼はじっと見ていた。

「私、不惑を迎える前に死のうと思っています」

とっさに、他に客がいなくてよかったと思ってしまった。彼がたちの悪い冗談を言っているのではないことはすぐにわかったが、かといってどう反応すればいいのかまるでわからなかったので、「そうですか」とだけ返した。

「怖いんです」

彼は続けた。

「生きているという緩慢な媚態が。ただそれだけで、私は誰かを傷つけてしまうから」

物書きというよりは詩人のような口ぶりだな、と感じた。

「私は、何より自分の傲慢さから逃れられない。神仏にすがった時期もありました。ですが――私は、私以外にはなり得なかった」

「ずいぶんと難しいことを考えているんですね。聡明な方だ」

「いえ」

彼は即答した。

「こんな私です。せめて笑ってください」

「そんな」

「笑ってください」

「……」

人生にいくつも分岐点があるとしたら、この瞬間はそのうちの一つだったかもしれない、と今でも思う。

彼についてはほとんど何も知らないままだった。僕はただの喫茶店の店主で、彼はただの常連客。それ以上でも以下でもなかった。僕は彼の名前すら知らなかった。彼も僕の名前を聞こうとしなかった。それくらいがお互いにちょうどいい距離感だったのだろう。

次の週、水曜日の午後になっても彼は現れなかった。

それから数日後、彼の訃報は意外な形でもたらされた。警察が彼の遺書を持って店にやってきたのである。遺書は家族や友人に宛てたものなど数通あったそうで、その中に「喫茶白鳩のマスター」、つまり僕に宛てたものがあった。

警察は事務的な口調で、彼に他殺の可能性が低いこと、彼が生前この近くの大学で若くして文学部の講師をしていたこと、晩年はアパートに独りで暮らしていたことなどを伝えてきた。

僕は渡された自分あての遺書を、ゆっくりと開封した。文面の万年筆のブルーブラックインクが、少しだけ滲んでいた。

白鳩でのひとときは私にとってかけがえのない時間でした。マスターの淹れてくれるコーヒーが、なによりのご馳走だった。

人は理由もなく生きていけるのかもしれませんが、それと同じく理由もなく死んでしまえる生き物なのです。

マスターの笑顔、素敵でした。冥土の土産にします。

水曜日に雨が降ると、僕は窓際の席に誰も座れないよう――彼が座れるよう――テーブルに水を置いておくことにした。誰かがマンデリンを注文するたび、鼻の奥がツンとなった。

最適解を求めれば、人はいともたやすく解を違える。何が正しかったのかとか、こうすればよかっただとか、たぶんそういうことではないのだ。

彼は、誰からも暴かれない文脈で生きて、それを誰からも浸食されないうちに死を選んだ。彼の人生は終わったかもしれないが、僕には後悔というより、心に刺さり続ける小さな棘のような痛みが居残った。彼が生きて、死んでいった証左として、あるいは彼が気だるげにマンデリンをすすっていた水曜日の午後の風景画として。