「夏菜子、今日も休みなんだね」
同窓生の美恵の何気ない言葉に、私は肝を冷やした。美恵はスマホをいじりながら、言葉を続ける。
「ラインしようかなぁ。さすがに心配だわ」
「いや、しなくていいんじゃない?」
私はとっさに美恵を制した。
「きっとバイトとか忙しいんだよ。それよりさ、週末の飲み会なんだけど……」
「ああ、二十人でしょ。入る店、今から探せる?」
「それがさ、行けなくなっちゃって」
「えぇー!」
美恵は私の顔をまじまじと覗き込み、
「あ、ああー。あーあーあー」
ニヤニヤと笑った。
「彼氏、できたんでしょ」
「は!?」
「いいよ、隠さなくても。智恵美はわかりやすいから」
「うーん、ちょっと違うんだけど……」
「謙遜は不要! いーのいーの、彼氏と充実した週末を過ごしなさいな」
「ごめんねー……」
私は内心で美恵に土下座し、夏菜子には手を合わせた。
私は知っている。それを秘密にしている。さながら、共犯者だ。
「地質の研究」
というのはまったくの建前で、彼は授業が終わるなどして時間を見つけては、森林公園の丘の麓にある(いる、と表現した方がいいだろうか)夏菜子の死体を掘り起こし、状態を確認していた。
私はそれに同行することが増えた。ラインには、「桜の確認作業に行こう」とだけ。そう、丘の麓には桜が植えられていて、季節になると花見客もやってくる。今は五月だから、ちょうど見頃も終わり、人々が桜のことなんて忘れる時期なのだ。
そういえば、桜の木の下には死体が埋まっているという言い伝えを聞いたことがあった。彼はそれをリアルに表現させたことになる。
「一部にディケが始まっているね」
相変わらず無表情で、桐崎くんは言う。私は恐怖を覚えていたが、それを凌駕しているのが彼に対する恋慕だった。
「ディケって何?」
「腐敗のこと」
「……」
「おやすみ」
そう言って、彼は慣れた手つきで夏菜子にまた土をかぶせ始めた。
「手伝うよ」
自分でも信じられない言葉だった。しかし、私はこれでいよいよ本格的に共犯者になったのだ。
震える手でスコップを握りしめ、夏菜子に土をかける。最初に顔から隠れるようにした。
ごめん、ごめん夏菜子。ごめんね。
大学近くのファミレスで、私たち二人はドリンクバーを注文した。
「安価で長居できるから」
というのが彼なりの合理的な理由らしい。
確かに、お金もないし、静かでは……ないけど、座っていられる。
この光景は、どこからどう見ても、どこにでもいる大学生のカップルだろう。
まさか、殺人鬼とその秘匿者には見えまい。
「これから、どうするの」
私は問うた。問わずにはいられなかった。
「随分、漠然とした質問だね」
「だって……」
「小林さんは、どうしたいの」
「えっ」
……私は少しだけ思案してから、こう返答した。
「そうだな。お願いばかりされたから、私からもお願いがあるんだけど」
私の言葉に、珍しく彼は興味をいだいたらしく、
「僕は、何をお願いされるの」
「名前なんだけど」
「名前?」
「小林さん、じゃなくて智恵美。智恵美って呼んでほしい」
桐崎くんは短くふっ、と息を吐いた。
「構わないよ。智恵美さん」
「さん、も要らない」
「じゃあ、智恵美」
表情からは彼の心中を察することは全くできない。顔色ひとつ変えずに私の名を呼んだ。
「智恵美はこれからどうしたいの」
「……そうだな」
私はベジタブルジュースと炭酸のミックスを一口飲んで、しばし思案した。
ポツポツと浮かんでは消える泡。人の命も、もしかしたらこんなに儚いのか。考えたこともなかった。だって、生きているのが当たり前だったから。
明日は当たり前にやってくると思っていたし、そんなことは思慮の外側だった。
しかし、ディケしかけた夏菜子のうすら開いた目を見て感じた。
今、こうして生きているのは当たり前なんかじゃなくて、偶然の連鎖なのだと。
しかも、私は今、他者の命を奪った人間と一緒にいる。そして彼の秘密を共有してしまった。
夏菜子に明日は来ない。私にはたぶん、明日が来る。なぜだろう?
「ロマンを僕が口にした時にさ」
沈黙を破るように、彼が口を開いた。
「智恵美は笑わなかったね」
「え、あ、そうだね」
「どうして?」
そうだ、ロマン、だ。きっと彼にとって大切な言葉なのだろう。
「だって、別に笑うとこじゃなかったし」
桐崎くんは相変わらず寂しそうな色の目で、私をまっすぐ見る。
この目だ。このいびつな優しさに、私の心はすっかり囚われてしまったのだ。