数週間が過ぎて、夏菜子の消息が周囲に徐々に疑われ始めた。元々一人暮らしだった夏菜子は、あまり実家にも連絡を取っていなかったらしく、夏菜子の両親が異変に気付いたのは六月も中頃を過ぎたあたりだった。
「彼氏と駆け落ちしたらしいよ」
そんな噂を美恵から聞いた。私は学食のカレーを食べる手を止めて、
「情報のソースは?」
「みんな言ってる。バイト先の塾あるじゃん? あそこの数学の講師とだって」
「……そう」
「地質の研究」は夏を目の前にして一旦終了した。森林公園の丘の麓に埋められた夏菜子は、ゆっくりと地球に還ってゆく。私は三限の統計学の授業をサボって夏菜子のもとへ向かった。彼女の好きだった、ダースチョコレートとマックスコーヒーを持って。
夏菜子が眠らされているだろう土に触れる。六月だがひんやりとする。供物を捧げ、手を合わせる。目を閉じ、懺悔する。それは、果たして誰のためのものであったか。
夏菜子、ごめんね。私の好きな人、ちょっとおかしいみたい。そんな人に好意を寄せている私は、もっと変かもしれない。許してくれとは言わない。貴女はもう、どこにもいないのだから。……いや、物理的にはこの下に、私の足下に、いるのだけれど。
きっと私は弱いんだ。その弱さを認めることすらできないくらいに弱いんだ。
ごめんね、夏菜子。これ以外に貴女に伝える言葉が見つからない。
貴女の好物を知っていて良かった。せめて、祈らせて。
「何をしてるの」
突然背後からかけられた声に、私は背中をビクつかせてしまった。
「桐崎くん……」
「それは何?」
彼が言うのは、供物のことだろう。
「これは……」
私は気まずさで口ごもってしまった。
「そんなことをして、何になるの」
彼の言葉は真をついている。
確かに、こんなことしたって夏菜子が返ってくるわけじゃない。唯一、意味があるとすれば「私の気が済む」ことくらいだ。そんなことは、どこかでわかっていた。そしてそれが、桐崎くんに対する一種の裏切りに近い行為だということも。
「……ごめん」
夏菜子にかけていたはずの言葉を、咄嗟に彼に使ってしまう。こうして言葉は、意味を、色彩を、失っていく。
しかし、彼は無表情なまま、
「智恵美は友達思いなんだね」
そんなことを言ってきた。供えたチョコレートを手に取り、パッケージを開けると一口、口に放り込んだ。
「ミルクチョコか。ビターの方が好みだな」
それが本当ならば、マックスコーヒーなど到底彼の口には合わないだろう。彼がそれを手に取ったので、私は慌てた。
「あ、それ、激甘だから」
「そうなの? 初めて見た」
「あのさ、『地質の研究』は、やめたんじゃないの……?」
おずおずと私は言うが、彼はそれに構わずコーヒーを開けて飲んでしまった。
「本当だ。何これ、甘過ぎてコーヒーの風味が死んでる」
眉間にシワを寄せる彼。あまり見せない表情だ。
「どうして、またここに?」
尚も食い下がる私に、彼は手のひらをひらひらさせて、
「土いじりはやめたよ。飽きたから」
その言葉と態度に、私は思わずカッとなった。
「違うでしょ。本当は、怖いんでしょ? 最近習ったの、犯罪心理学。殺人犯は被害者を隠匿後に何度も遺体を確認しに来る、それは遺体が蘇らないか、バレないか、不安で怖いからだって」
「……」
彼の表情は変わらない。
「智恵美は、心理学専攻だったね」
「そうだよ」
桐崎くんは抑揚のない声で話し続ける。
「その分析が当たってたら、智恵美は将来有望なプロファイラーだ」
「茶化さないで」
「茶化してない」
そして真顔で、こう言った。
「僕は智恵美のことを考えるとき、常に真剣だよ」
……それからのことは、よく覚えていない。気づいたら、桐崎くんの腕の中にいた。
こんなところで、―――友人の亡骸の上で、結ばれるなんて、なんて私は―――私たちは、愚かなのだろう。