第八話 塊肉

「そしていつまでも仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

読み終えると美恵は、絵本に次々と付箋を貼っていく。

真剣に児童文学を読んでいるのは美恵だけで、他のメンバーはとっくにパーティーモードだ。貸切とはいえ、少しはしゃぎ過ぎではというくらい、先刻から、お酒もないのに王様ゲームで盛り上がっている。

「はい、じゃあ次、智恵美ちゃーん!」

急に名前を呼ばれて、私はビックリした。

「え……何が?」
「やだなぁ、わざわざ訊くなんて野暮だ〜」
「ごめん、本当に聞いてなかったの」

サークルメンバーが「またまたぁ」と追い討ちをかけてくる。どうしよう、と思った刹那、

「趣味が一緒だったんです」

私をフォローしてくれたのは、他でもない桐崎くんだった。

一気に色めき立つメンバー一同。

「趣味って何~?」
「やだ〜、アツアツじゃんか~」
「智恵美もやるなぁ」

なんだろう。なんなんだろう。

「ガーデニングです」

桐崎くんはさらりと言う。

「二人で『土いじり』をするのが好きで」
「へぇ〜、仲良いんだねぇ」

沸き立つ周囲。私は内心で嫌な汗をかいていた。桐崎くんといえば、涼しい顔で周囲を見渡していた。


バスが到着し、窓から見えた合宿先のペンションは、小さいながらも女子受けしそうな洋風の可愛らしい外観だった。

「すごーい!」
「インスタに上げよっと」
「お腹空いたー」
「あ、富士山きれい!」

めいめい、好きなことを言うメンバーたち。

「ペンションも貸し切りだから!」

美恵がそう言うと、皆のテンションはいよいよ高揚した。

そのはしゃぐ後ろ姿を見ていた桐崎くんの表情が、一瞬だけ緩んだ、気がした。

「じゃあ、六時から夕飯だから、それまで各自自由に過ごして」

藤城先輩が先頭を切って、バスから降りていく。皆がそれに続くが、ふと藤城先輩が振り返った。

「お二人さん、悪いけど夕飯担当だから、君達だけ五時に食堂に来てくれるかな」
「あ、はい。わかりました」

私はあの日ミーティングに出なかったことと、欠席裁判を強行したメンバーを少し恨んだ。


ペンションが大学生に貸し切れたのは、オーナーが藤城先輩の父親の友人だったかららしい。藤城先輩はちょっとしたお坊っちゃまだとも、美恵から聞いた。

桐崎くんといえば他人の事情などどうでもいいらしく、先程から丁寧に、まな板に向かって野菜をトントンと刻んでいる。

「千切りキャベツ、上手だね」

私がジャガイモの芽と苦戦しながら言うと、桐崎くんはさらりと返した。

「バイトで散々やってるからね」
「そっか」

何気ない会話が嬉しかった。罰ゲームの如く任された夕飯担当だが、桐崎くんとなら悪くない。むしろ歓迎だ。

「みんな、はしゃぎ疲れて早速寝てる子もいるんだよ。子どもみたいだよね」
「子ども、なんじゃない」
「あはは」

野菜の下ごしらえを済ませた頃になって、藤城先輩が何かを重そうに抱えながらやってきた。

「よう、悪いね」
「あ、野菜はオーケーです」

私が返事すると、藤城先輩はニカッと笑った。

「いいものを見せてあげるよ」
「何ですか?」

藤城先輩がテーブルに広げたのは、大きな肉の塊だった。

「今、流行ってるんだ。塊肉」
「カタマリニクとは、また豪快ですね」
「ね、何の肉か当ててごらんよ」
「はい?」

私がポカンとすると、藤城先輩はこんなことを言い出した。

「文学部の田代久美子、知ってるよね」
「え……」

「行方不明らしいよ」

私はチラッと桐崎くんの方を見た。彼は表情ひとつ変えずに、下ごしらえした野菜の整頓をしている。

「え、何ですか」

考えるより先に、言葉が口を突いて出た。

「何か、その子が関係あるんですか?」

藤城先輩はしかしその質問には答えず、

「何の肉だと思う?」

そう言って畳み掛けてくる。私は少し頭にきた。

「変な冗談やめてください。牛肉でしょう、ただの」

だが藤城先輩は、首を横に振った。

「ハズレ。『ただの』じゃない」
「えっ」
「A5ランクの神戸牛だよ」

……肩透かしを食らった気分だ。一体、何が言いたいのだろう。

「やだなぁ、怖い顔しないでよ!」

藤城先輩が私をなだめる間も、桐崎くんは我関せずといった雰囲気だった。

「ねぇ、なかなか面白いジョークだろ?」

声をかけられて、桐崎くんは、

「ええ」

と、完全な愛想笑いを浮かべた。

「僕も一瞬ビビりました」

嘘だ。絶対、嘘だ。


腹を空かせた大学生たちは非常に食事の時間には正確だ。六時になって、みんなが降りてくるのに合わせて、塊肉を絶妙な火加減で焼かれているものだから、食堂に入ってきた一同はその香りに感嘆の声をあげた。

「すごーい! 美味しそうな香り!」
「智恵美ちゃん、焼き加減は?」
「ミディアムレアで仕上げます」
「最高!」

それから、しばしの間、歓談という名の馬鹿騒ぎが繰り広げられた。流行歌、流行のウェブサイト、流行のファッション。どれも私には縁遠く感じられた。そして、恋愛話になると、必ずといっていいほど私たちにお鉢が回ってきた。

「ねぇねぇ、桐崎くんは智恵美のどこが好きなの?」

こんな不躾な質問も何となく許されてしまうのが、合宿の恐ろしいところだ。

桐崎くんは、私の方をじっと見つめて……というより、観察するように見回してから、こう言ってのけた。

「誰がどう見てもかわいいところです」

口笛を吹かれてしまった。私は赤面を止められなくて、ただ俯き、時が過ぎるのを待った。そして、ひとしきり盛り上がって話題が変わった頃に、桐崎くんにだけ聞こえるように、

「……バカじゃないの」

そう呟いた。彼の表情は、やはり変わらなかった。

「そろそろ塊肉、食べたいな~」

食い意地の張った男子がそう言い出したので、みんな一斉に肉モードに突入してしまった。

「あ、焼きあがったかな」

私が席を立とうとした時、桐崎くんが私を制した。

「僕がやるよ」
「あ、助かる。ありがとう」

それから、彼は流暢な手つきで塊肉を切り分けだした。

「わぁ、いい焼き加減」
「肉汁もたっぷりだね!」

みんな大喜びだ。肉に夢中で桐崎くんにねぎらいの言葉もない。そんな中、藤城先輩だけは作業する桐崎くんに声をかけた。

「慣れてるね、肉を切り分けるの」

その言葉に、果たして他意はあったのだろうか。

「それも、バイトの成果?」
「……」

桐崎くんは黙ったままニコリと笑った。