古城姉妹は早くに両親を亡くしており、9つ年上の姉るいが会社員として妹のはるかの夢を応援していた。はるかはどちらかというと引っ込み思案で、何をするにもるいの後ろについて歩くような性格だ。
そんなはるかの夢は、パティシエになることだ。スイーツが大好きなはるかは、自分の手でつくったもので多くの人に笑顔を届けたいと願っているのだ。現在は専門学校で学んでいる。
はるかが目を覚ますと、黒髪を後ろで束ねた女性――香織が「あ、気づいたね」と声をかけてきた。
「気分はどう?」
「……姉は」
「まだ集中治療室」
「ん……」
はるかは身を起こし、毛布の礼を香織に述べるとすぐに歩き出そうとした。それを、香織は素早い動きで制した。
「無理しないで。無理をしている場合じゃない」
「でも」
「お姉さん、頑張ってるから、大丈夫だよ」
はるかはその場で、祈るように固く目を閉じた。
一転してよく晴れたその日の朝も、孝輔と隆史はいつも通り開店準備を進めていた。そこへ唐突にやってきた葉山に対し、隆史は申し訳なさそうに声をかけた。
「お客様、すみません。まだ開店前です。10時からなんですが」
すると葉山は浩輔を一瞥し、こう答えた。
「こちらこそすみません、私は客ではありません」
「あの、ではどういったご用件でしょう」
「こういう者です」
葉山が警察手帳を見せると、隆史はキョトンとした。
「刑事さんが、どうして」
「まあそう驚かないでください。ただの任意聴取です」
「聴取って」
「昨日の夜、どちらにいらしたかを教えてくれませんか」
「なにか、事件ですか?」
「ええ、まあ」
するとそれまで黙っていた浩輔が、ゆっくり口を開いた。
「昨夜は、ひどい雨だったので家にはいませんでした」
「ん?」
あからさまに浩輔に興味を示す葉山は、今度はじっと浩輔を見た。
「変わった方だ。普通は外出を控えると思いますが」
「そうですか」
「では、どちらに?」
「喫茶店にいました」
「深夜に?」
「はい。知り合いがやってる店なので」
「喫茶店ね……」
喫茶店の名前を聞き出すと、葉山はそれをメモ帳にしたためた。
「開店前にすみませんでした。では」
葉山が去っていくと、隆史は思わず深呼吸した。
「はー、生まれて初めてかも、事情聴取なんて」
「俺もだ」
「浩輔、いくらなんでも馬鹿正直に答えすぎじゃないか?」
「そうかな」
「あの刑事、なんか勘ぐってやがったぜ」
「嘘をつくよりマシだろ」
「まあ、そうだけど」
ふと、手を止めて隆史が浩輔に問うた。
「もしかしてお前、まだ『続けてる』のか」
すると、少し間を置いてから浩輔は答えた。
「ああ。なかなか見つからなくて」
浩輔から聞き出した喫茶店「はなとゆき」を訪れると、店内には人気がなかった。ドアベルをからころ鳴らしても、誰も出てこない。仕方ないので席に座り、テーブルをコンコンと叩いた。
「いらっしゃいませ」
店主と思しき、葉山の親世代くらいの女性が気だるげに奥から現れた。
「ブレンドひとつ」
葉山は店内を見回した。美容室「テラエシエル」と同じアーケード街の地下にある店舗は、ほのかに煙草の匂いがした。条例でとうに禁煙義務化されたいるはずだが、客にこっそり吸わせているのかもしれない。
しかし、そんなことを取り締まりに来たわけではないので、葉山は頬杖をついてため息をついた。壁掛け時計が5分ずれているのに気づいた。恐らく、直す気もないのだろう。
葉山はコーヒーが来るまでの間、腕を組んでまぶたを閉じた。脳裏に蘇るのは、昨日目撃した血溜まり。葉山が駆けつけたときには既に救急搬送されていたので、血まみれになって倒れている古城るいの姿を見ることはできなかったが、それでも、宵闇に溶けるような鮮血の赤は、葉山に生々しい感情をわかせるのに十分すぎた。
被害者の妹が目の前に現れて、葉山は確信した。まるで天啓のようだった。ゆえに、葉山は激しい自己嫌悪の中にいた。抗いがたい獣の息に、いつか食われてしまうのではないかという恐怖があった。だが、その恐怖よりも優っているのだ——あの子を、この手で、という欲望が。