るいの病室を出たはるかに声をかけてきたのは、娘を連れた隆史だった。
「はるかちゃん」
「西条さん。どうしてここに」
「お見舞い」
そう言って、テラエシエルと同じアーケードに入っているケーキ屋の箱を見せた。
「シュークリーム、好きだったよね?」
デイルームという面会可能な場所でペットボトルの紅茶を3本買った隆史は、ミルクティーをはるかに渡した。隆史の娘、4歳の莉々は元気よくはるかにあいさつすると、外がよく見渡せる窓辺に移動した。
「るいちゃんの容態は?」
「変わりません。なかなか起きてくれないんです」
「そっか」
「あの、お店はいいんですか?」
「ああ、予約が入っていなかったから、浩輔に任せてる」
「そうですか」
隆史は、伏し目がちになるはるかの表情を見逃さなかった。
「はるかちゃん。つらいと思うけど、たまには気晴らしも大切だよ」
「そうかもしれません」
「お代はいいから、うちに来てその髪、ケアしてあげない?」
「えっ」
「浩輔にやってもらおう」
名前を出されて、はるかは思わず赤面した。
胸元まで伸びたはるかの黒髪を、大切なものに触れるように浩輔は丁寧に扱った。席に座ったはるかはずっとどきどきして、そんな自分が少し嫌になった。姉は懸命に闘っているのに、私だけ秋川さんに施術してもらっているなんて、と。
しかし浩輔に髪をトリートメントしてもらうと、不思議とこころがほぐれていった。ずっと張りつめていた気持ちが、するすると氷解していくようだった。気がついた時には、はるかはほろほろと涙をこぼしていた。浩輔は粛々と施術を進める。
「ごめんなさい、私」
「いえ、謝ることじゃないから」
自分の髪が生まれ変わったかのように艶やかになったのを見て、はるかは思わず鏡に前のめりになった。
「いいじゃない、はるかちゃん。素敵だよ」
隆史に言われて、はるかはほっと笑顔を浮かべた。
「あー、やっと笑ったね」
「えっ」
「浩輔。やっぱりお前に任せてよかった」
そう言われて、浩輔はこくりと頷いた。
捜査は一向に進展がなかった。なにより、目撃者がいないことが大きかった。凶器に使用された刃物は、美容師が使うオフセットハンドルのシザーだった。だからすぐに、るいの行きつけだった美容室「テラエシエル」の西条と秋川を疑ったが、二人ともアリバイがあったのだ。
西条は帰宅して家族と一緒だった。妻だけではなく幼い娘からも証言されたので間違いないだろう。秋川という物静かな男のほうは、「はなとゆき」という喫茶店の店主からウラが取れている。
どうでもいいが、返す返すも無愛想な店主だった。とても常連になる気がしない。
「お疲れ様です」
デスクにホットのルイボスティーがマグカップに入れられて置かれる。香織が、葉山を覗きこむようにして首をちょこっと傾げた。
「根詰めすぎないでくださいね。寝不足はあらゆる失敗のもとですから」
「ありがとう」
「捜査、つんでませんか」
率直に言われて、葉山は苦笑した。取り繕っても仕方がない。
「まあ、そこそこつんでる」
被害者が意識を取り戻してくれさえすれば、解決まで一足飛びに向かうだろうが、古城るいはなかなか目を覚さない。今は個室に移り、24時間体制で治療を受けている。
「それ、なんですか?」
葉山の手元を指して、香織は言った。なんらかの資料と思しき写真が、葉山のデスクに散らばっている。
「現場検証の写真」
「ふーん」
「素人が見て、気分のいいものじゃない」
「そうですか」
マグカップの載っていたトレイを持ったまま、香織はその場でくるりと一回転した。
「じゃあ、玄人が見ると気分のいいものなんですか」
「え」
「冗談ですよ。でも、本気です」
「どういう意味?」
「楽しいですか、それとも苦しいですか」
香織の瞳の奥が、意地悪くきらりと光る。葉山は首を横に振って、それからはダンマリを決め込んでしまった。