星空のよく見えるベランダに出た葉山は、しんと冷えた夜の空気を吸い込んだ。
「いいとこに住んでるんだな」
夜空を支配する星々は、今にも降り注がんばかりにきらめいている。
「それは?」
葉山は興味深げに、隣の部屋の天体望遠鏡に言及した。浩輔は「約束」とだけ答えた。
「約束?」
「ああ」
「誰との?」
「……大切な人」
それ以上の詮索は野暮だと思い、葉山は「そっか」とだけ返した。
「星を探してる」
「え?」
「星が死ぬ瞬間って、何が起きると思う?」
浩輔はリビングから部屋を移動して、天体望遠鏡を覗き込んだ。
「星は自らの重力でつぶれて、大爆発を起こすんだ。『超新星爆発』って聞いたことあるだろ」
「ああ、まあ」
「そして命になるんだ。星は死んだら命になるし、命は果てたら星になる」
寡黙な浩輔が星のことになるとこんなに饒舌になることに、葉山は面食らった。
「俺の大切な人は、この宇宙のどこかで星になっている。それを探して、名前をつけなきゃならない」
浩輔の表情は真剣そのものだ。鬼気迫る雰囲気さえ醸している。葉山は思わず、息を呑んだ。
「ちなみにだが、俺は雨の夜にも傘はささない」
「それはどうして」
「雨雲の彼方で輝く星に想いを馳せるため」
「ストイックだな」
その言葉に、浩輔は「はは……」と笑った。
「そんなふうに思ってくれるのは、刑事さんが初めてだ」
浩輔の笑顔に葉山は思わず、「葉山でいい」と言った。浩輔は葉山に視線を向けて、「わかった」と言った。
「葉山、あんたきっと悪いやつじゃない。ちょっと嗜癖が変わってるだけで」
「……どうなんだろうな」
「あてにはならんかもしれないが、俺が保証する」
「本気かよ」
「冗談に聞こえるか?」
葉山は、無性に泣きたくなるのを懸命に堪えていた。
その日の遅く、香織は帰宅するとすぐに、くたびれたくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。ぼろぼろになっていたはずだが、ところどころ縫い直されている。
「ただいま」
「おかえりなさい」
はるかが「遅かったですね」と声をかけると、香織は浮かない表情を見せた。
「夜ご飯食べました? 何か作りましょうか?」
「ううん、いい」
「食べないんですか」
「別にいいや」
香織は疲れた顔で自室に戻ると、そのままベッドにダイビングした。
——ああ、何が『妹ができたみたいで嬉しい』だろう。私、全然あの子を憎んでる。
葉山さんが執心なのはあの子。私はあの子になれない。葉山さんが手にかけたいのはあの子。葉山さんに手にかけてほしいのは私。
ふと、香織の脳裏に恐ろしい考えが浮かんでしまった。
……あの子さえ、いなければ。
「古城さん、眠れそうですか?」
時刻は午前2時を過ぎていた。ナースステーションに連れてこられたるいは、首を横に振った。夜勤の看護師は「そうですか」とるいのカルテを広げながら言った。
「昼間に眠り過ぎちゃってますかねえ。睡眠は回復に大切ですけど、昼夜逆転しちゃうのも困りものですよね」
「……あの……」
「はい」
「『古城』とはどなたですか」
「えっ?」
看護師は訝しげに首を傾げた。るいは戸惑いきった表情である。
「皆さん、私のことを『古城』さんとか『るい』さんとか呼びます」
「はい。それが何か」
「私の名前は、『古城るい』ではありません」
るいの発言が、てっきり記憶喪失の影響かと思った看護師は「とにかく寝ましょう。水分摂ってくださいね」と就寝を促した。るいはまともに取り合ってもらえず不満だったが、従う以外の選択をすることができなかった。
違うのに。私には、あの人がつけてくれる名前があるのに。