応じたのは、垣内さんだった。車いすを軽快に転がしながらやってきて、
「こんにちは。安田は今ちょっと外にいて。御用ですか?」
「あ、はい。あ、いいえ」
「え?」
怪訝そうな顔をする垣内さん。当たり前だ。
桃香はモロゾフのクッキーの入った缶をばっと出して、
「これ、皆さんで召し上がってください!!」
と垣内さんに押し付けるように手渡した。
「はい?」
垣内さんは完全に戸惑っている。
それに構わず、桃香は一度深呼吸すると、思い切って言った。
「あの、安田さんが戻るまで、こちらにいてもいいですか」
「別にいいですけど……。あ、お茶でも飲みます? あ、そうだこの間の三重出張で買ってきてもらった『松坂牛ジャーキー』、まだあったかな」
言いながら垣内さんは台所に入っていった。桃香は恐る恐る、ふるーるの玄関から奥の客間に移動をした。
「こんにちはー」
視覚障害の上田さんが、気配を察知して声をかけてきた。桃香は一瞬だけビックリして、しかししっかりと返事をした。
「こんにちは」
上田さんの持っている資料は点字資料だ。点字なんて、初めて見た。なんだか、面白いな。
桃香はふるーるの事務所を見渡すようにして、ふと壁に掛けられていた絵に惹かれた。
青空に、虹がかかっている絵。
シンプルだが、純粋にきれいだと思った。桃香が見入っていると、
「あ、その絵ねー」
お菓子を運んできた垣内さんがやってきて、
「安田君がここに来て、初めて描いた絵なんですよ」
「安田さんが?」
「そ。あの人、絵を描くのが趣味みたいで」
「へぇ……」
ますます、食い入るように見てしまう。
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫で優しいグラデーションを描いている。まるで、人柄がにじみ出ているかのようだ。
「きれい……」
気が付くと、桃香は呟いていた。垣内さんが、
「この絵、三浦さんが気に入ってね。よく見える所に飾ってほしいって頼まれたんですよ」
そう説明してくれた。
「お茶、どうぞ。少し待っててください」
「ありがとうございます」
桃香はソファーに腰掛けて、ホッと息をついた。
虹の絵。彼は何を想ってあれを描いたのだろうか。
やがて、奥の方からホイール音がして、三浦さんが姿を現した。
「こんにちはー。安田君に御用ですか?」
ほとんど生まれて初めて見る電動車いすに、桃香は今度こそ驚きを隠さなかった。
「わぁ、すごい」
三浦さんはハハ、と笑って、
「素直な方ですねぇ」
「あ、すみません」
「いえいえ。ふるーるの三浦と申します」
三浦さんは朗らかに笑った。桃香も少し安心して、
「服部と申します。急に押しかけてごめんなさい」
「いえいえ。せっかくだからゆっくりしてって」
「はい」
三浦さんは桃香の顔をじっと見て、ふーむ、と前置きしてから、
「……安田君と、同じだねぇ」
「何がですか?」
「これね、僕の超能力。すごいでしょ」
桃香はリアクションに困った。三浦さんの言っている意味が、よくわからない。
「えっと……」
「なんでも見抜いちゃうの。困った能力だよねぇ」
「はぁ……」
「体の自由を失ったのと引き換えに、超能力者に! なんてね」
三浦さんはにこやかに、冗談か本気かわからないことを言う。さらに、
「確か、つい最近まで、『精神分裂病』と呼ばれていましたね。2002年に名称が変わったんだよねぇ」
ギクリとする桃香。
「あなたも、そうなんでしょう」
三浦さんの言葉には冗談こそあれ、裏表はない。しかも直球に芯を突いてくる。
桃香は小声になって、
「なんで、分かったんですか」
三浦さんは「やっぱりねぇ」と微笑み、
「安田君と同じ目をしている」
「えっ」
「優しい目だ。とても澄んだ色だよ」
「……」
桃香は、黙り込んでしまった。
「え? お客さん?」
外出先で垣内さんからの着信を受けた真一は、ちょうど戻る際に事務所へシュークリームを買っているところだった。
「何人? え、一人? わかりました。すぐ戻ります」
真一はコージーコーナーのスタッフに、シュークリームを追加注文した。
まさか、ふるーるで桃香が待っているとも知らずに。
第十一話 おでこ に続く