第十話 同じ色

応じたのは、垣内さんだった。車いすを軽快に転がしながらやってきて、

「こんにちは。安田は今ちょっと外にいて。御用ですか?」

「あ、はい。あ、いいえ」

「え?」

怪訝そうな顔をする垣内さん。当たり前だ。

桃香はモロゾフのクッキーの入った缶をばっと出して、

「これ、皆さんで召し上がってください!!」

と垣内さんに押し付けるように手渡した。

「はい?」

垣内さんは完全に戸惑っている。

それに構わず、桃香は一度深呼吸すると、思い切って言った。

「あの、安田さんが戻るまで、こちらにいてもいいですか」

「別にいいですけど……。あ、お茶でも飲みます? あ、そうだこの間の三重出張で買ってきてもらった『松坂牛ジャーキー』、まだあったかな」

言いながら垣内さんは台所に入っていった。桃香は恐る恐る、ふるーるの玄関から奥の客間に移動をした。

「こんにちはー」

視覚障害の上田さんが、気配を察知して声をかけてきた。桃香は一瞬だけビックリして、しかししっかりと返事をした。

「こんにちは」

上田さんの持っている資料は点字資料だ。点字なんて、初めて見た。なんだか、面白いな。

桃香はふるーるの事務所を見渡すようにして、ふと壁に掛けられていた絵に惹かれた。

 

青空に、虹がかかっている絵。

 

シンプルだが、純粋にきれいだと思った。桃香が見入っていると、

「あ、その絵ねー」

お菓子を運んできた垣内さんがやってきて、

「安田君がここに来て、初めて描いた絵なんですよ」

「安田さんが?」

「そ。あの人、絵を描くのが趣味みたいで」

「へぇ……」

ますます、食い入るように見てしまう。

赤・橙・黄・緑・青・藍・紫で優しいグラデーションを描いている。まるで、人柄がにじみ出ているかのようだ。

「きれい……」

気が付くと、桃香は呟いていた。垣内さんが、

「この絵、三浦さんが気に入ってね。よく見える所に飾ってほしいって頼まれたんですよ」

そう説明してくれた。

「お茶、どうぞ。少し待っててください」

「ありがとうございます」

桃香はソファーに腰掛けて、ホッと息をついた。

 

虹の絵。彼は何を想ってあれを描いたのだろうか。

 

やがて、奥の方からホイール音がして、三浦さんが姿を現した。

「こんにちはー。安田君に御用ですか?」

ほとんど生まれて初めて見る電動車いすに、桃香は今度こそ驚きを隠さなかった。

「わぁ、すごい」

三浦さんはハハ、と笑って、

「素直な方ですねぇ」

「あ、すみません」

「いえいえ。ふるーるの三浦と申します」

三浦さんは朗らかに笑った。桃香も少し安心して、

「服部と申します。急に押しかけてごめんなさい」

「いえいえ。せっかくだからゆっくりしてって」

「はい」

三浦さんは桃香の顔をじっと見て、ふーむ、と前置きしてから、

「……安田君と、同じだねぇ」

「何がですか?」

「これね、僕の超能力。すごいでしょ」

桃香はリアクションに困った。三浦さんの言っている意味が、よくわからない。

「えっと……」

「なんでも見抜いちゃうの。困った能力だよねぇ」

「はぁ……」

「体の自由を失ったのと引き換えに、超能力者に! なんてね」

三浦さんはにこやかに、冗談か本気かわからないことを言う。さらに、

「確か、つい最近まで、『精神分裂病』と呼ばれていましたね。2002年に名称が変わったんだよねぇ」

ギクリとする桃香。

「あなたも、そうなんでしょう」

三浦さんの言葉には冗談こそあれ、裏表はない。しかも直球に芯を突いてくる。

桃香は小声になって、

「なんで、分かったんですか」

三浦さんは「やっぱりねぇ」と微笑み、

「安田君と同じ目をしている」

「えっ」

「優しい目だ。とても澄んだ色だよ」

「……」

桃香は、黙り込んでしまった。


「え? お客さん?」

外出先で垣内さんからの着信を受けた真一は、ちょうど戻る際に事務所へシュークリームを買っているところだった。

「何人? え、一人? わかりました。すぐ戻ります」

真一はコージーコーナーのスタッフに、シュークリームを追加注文した。

まさか、ふるーるで桃香が待っているとも知らずに。

第十一話 おでこ に続く