三浦さんはマイペースに、それでいて優しく桃香に話しかける。
「僕、自分のこと大好きなの。何でだと思う?」
「えっと……超能力が使えるからですか」
三浦さんはアッハッハ、と笑った。
「本当に、素直だねぇ。僕には超能力なんてありません。ただ、丸ごとの自分が大好きなんです。この、言うことをきかない手も足も、ね」
「……そうですか」
「服部さんは?」
桃香は言葉に詰まった。
自分はどうだろう。三浦さんみたいに、まっすぐに「自分が好きだ」なんて言えるだろうか。
いや、できない。だって―――
「私は、病気だから……」
三浦さんは、おや、と反応した。
「病気の自分は、好きになれないかな?」
「…………」
「僕はさぁ、障害者になって良かったって、心から思えるんだ。この歳になっても仲間に囲まれて、毎日そこそこ忙しくさせてもらっているからね」
桃香は目を伏せる。三浦さんの言葉が、耳に痛い。
「ふるーるのみんなと週末にお酒を飲みに行くのも楽しみなんだ。兵藤さんなんてかなりの酒豪なんだよ。あ、僕が言ったってことは内緒ね」
「あの」
桃香は三浦さんを遮るように言った。
「自分を好きになれない人が、どうして人を愛せるでしょうか」
三浦さんは「うーん、確かにね」と前置きしてから、
「でも、人を愛することで自分を好きになる人も、いてもいいんじゃないかなぁ」
「……そうですか」
三浦さんはニッコリ笑った。
「『大丈夫。きっと、大丈夫』って、困ったら、唱えてごらんなさい」
「え……?」
「きっと、あなたを助けてくれるでしょう」
真一がふるーるに戻ると、そこにはすっかり他のメンバーと打ち解けている桃香の姿があった。
桃香がビーフジャーキーを噛み切りながら、
「あ、どうも」
などと言ってへにゃっと笑うものだから、真一は状況をよく飲み込めなかった。
「遅かったじゃない〜!」
兵藤さんがボーッと突っ立っている真一に声をかける。彼が持っていた土産を見て、
「あ、シュークリーム? やったー、みんな、シュークリームだよー」
「お疲れ様! 相談は無事に終わったの?」
垣内さんが桃香の口元の松坂牛ジャーキーを引っ張りながら問いかける(桃香は「うにーっ」と唸っている)。
「あ、ハイ。ひと通り手続きも済ませました。来月中旬には新しい受給者証明書が届くと思いますってちょっと!」
「いいノリツッコミだねぇ」
三浦さんはニッコリ。この微笑みに敵う者はそういない。
「お客さんって、まさか」
真一はその先の言葉を失った。
桃香といえば、垣内さんとじゃれあっている。
(なんだ、この光景?)
シュークリームが、箱の入った袋ごと床に落ちた。
「……煙草、行ってきます」
「え、どうしたの?」
兵藤さんが制止するより早く、真一は喫煙スペースに行ってしまった。
顔を見合わせる兵藤さんと垣内さん。三浦さんはうんうん、と頷いている。
「『若さゆえ』って、いい響きだよねぇ」
「シュークリーム、まだっすか?」
上田さんの呑気な声が、その場の空気をさらに妙な雰囲気に変えてしまう。
「何か、悪いことしたかしら……」
兵藤さんはシュークリームを引き取って首をひねる。
「安田さんは時々、よくわかんないっすよ。だから、いつも通りじゃないっすか」
「うーん。まぁいいや、シュークリームに罪はない。さ、食べよー♪」
良くも悪くも、静かな日常が崩れてゆくのを感じている。
煙草を吸っても、動悸は一向に治まらない。
なんで、ここに、あの子が。
たとえ「いいこと」でも、刺激は彼にとって負担になりかねなかった。「あの日」から、彼のストレス爆発のトリガーには、常に怜悧な見えざる指がかけられている。
真一は窓ガラスに映る自分の顔を見た。
認めたくないが、赤面している。
なんでだ。
―――問うのは、ナンセンスか。
どうすりゃいいんだよ……。
もう一本煙草を吸おうとして、彼は動作を停止した。
鉄扉の開く鈍い音がして、桃香が顔をひょっこり出したからだ。
「最近は、どこも禁煙で大変だね。この寒いのに外でしか吸えないなんて」
「あ、ハイ」
桃香はトコトコと真一に近づくと、真一のおでこを拳でコツンと叩いた。
「敬語はナシって言ったじゃない」
予告なしにやってくるこの感情の高鳴りは、まるで海原に現れる大嵐のようだ。真一は必死に平常心を保とうとして、一呼吸置いた。
「あの、なんでここに?」
「愚問!」
「え?」
桃香は突然頭を下げた。
「この前のこと、謝りたくて」
桃香のこの、ジェットコースターのような感情の起伏は、病気云々というよりも生来のものかもしれない。
「ごめんね。LINEじゃ嫌だったから、直接言いにきたの」
目をぱちくりさせる真一。謝るためだけに、人の職場に押しかけてきたのか。
なんというか……、律儀な子だな。
「ごめんね。私、すごく後悔してる」
桃香は真一の目をまっすぐに見て、
「……ごめんね?」
そして必殺の、へにゃっとした笑顔。真一の鼓動が跳ね上がる。これはもう、「そういうやつ」だ。つまり、筆舌に尽くしがたい領域の話なわけで。
「……!」
言葉よりも考えるよりも何よりも早く、真一は沸き上がる衝動に駆られるまま、桃香を抱き寄せた。
「謝らないで」
「えっ、えっ」
桃香はびっくりした。しかし、その優しい腕にそのまま身を任せた。真一は必死に、言葉を紡ぐ。
「どうか、あの日のことが間違いだったなんて、言わないでほしい」
「……」
桃香も跳ね上がる鼓動を抑えきれず、真一に腕を伸ばして、
「……うん。そうだね」
そう言って二人は見つめ合う。ここが彼の職場であることも忘れて。
桃香は、いたずらっぽく笑った。
「まだ、ちゃんと言ってなかったよね」
そして、真一のおでこに自分のおでこをあてて、ハッキリと言った。
「……好き、です」
「敬語はナシなんじゃなかった? 桃香」
二人の時を刻む時計が、ぎこちなく動き出す。
しかし本当の試練が二人に降りかかるのは、これからだった。
第十二話 女子会 に続く