最終話 コトノハ

季節は確実にめぐりゆき、桜の季節がやってきた。見事な桜並木がこの小さな街にも存在する。コトノハから歩いて10分もすればたどり着ける、多摩川支流の小さな川の河川敷だ。

「場所取り、ありがとうございます!」

元気いっぱいの美咲と大きな保冷バッグを携えた神谷がやってくると、「先に始めてたー」とビール缶を片手に上機嫌な香月に、最近付き合いだしたばかりだという彼氏が手を振った。

そのあとから、コンビニで買った缶チューハイなどが入った袋を持った透が顔を出して、香月の前にずらりと並べた。彼の肩にはマグがちょこんとのっている。どうやらここが居心地がいいらしい。

「三山さん、ビールだけじゃ足りないでしょ」
「うっさい! 正解っ!」

コトノハ一同に、どっと笑いが起きる。ピクニックシートの上に美咲お手製の弁当、スイーツ、ドリンク類が置かれた。一人ひとりに飲み物が注がれ、いよいよ乾杯という段になったが、透が「ちょっと待ってください」といった。

その場にいる誰もが、主役の到着を待っていた。

最初に気がついたのがマグだった。「みゃお」と短く鳴いたマグの視線を皆が追うと、そこにはパステルピンクのスプリングコートにギンガムチェックのプリーツスカート、アイボリーのシューズを合わせた朋子が駆けてくる姿があった。

「遅くなってすみませんっ!」

ぺこりと頭を下げる朋子。

神谷が「進級おめでとう」というと、みんなは拍手して朋子を迎えた。朋子は照れながら「ありがとうございます」と笑顔を浮かべた。

「ではでは、みなさんOK?」

香月が音頭を取るために立ち上がり、朋子にオレンジジュースを渡した。

「じゃあ、えー、コトノハのますますの発展と、朋子ちゃんの進級を祝しまして、えー、それと美咲ちゃんの受検祈願と、沢村くんのコトノハレギュラー入り、それから、あとわたくしのですね、ニューダーリンもこのたび、このコトノハの仲間に加入させていただきたく……」
「香月ちゃん、あいさつ長すぎ」

神谷がツッコミを入れると、その場は笑い声に包まれた。

「とにかく! みんなの一歩に、乾杯!」

日々は、うまくいかないことや思い通りにならないこと、ままならないこと、理不尽なことで埋め尽くされているようにも見える。それでも、みんながそれぞれ、差し出せるちょっとした優しさを持ち寄れる場所、それが喫茶コトノハ。


宴が終わって、帰り道の河原を美咲と透は二人きりで歩いていた。

「朋子ちゃん、元気そうだったね」
「そうだね。僕も安心したよ」

夕陽の柔らかい光を浴びて、それでもなお拭い去れない透の中に根づく深い憂い。しかしそれ以上の優しさにたくさん触れて、透のこころも雪解けの時を迎えつつあるようだ。

「美咲」
「うん?」

透は、まっすぐに美咲を見て、はっきりとした口調で伝えた。

「僕、自分の望みがわかったんだ」
「え、本当っ?」

透が力強く首肯する。

「僕はいつか、きみを本当の笑顔にしたい。それが僕の望みだ」

その言の葉に、美咲は満開の桜にも負けない愛らしさで、透の右手をぎゅっと握った。


コトノハはこれからも、生きることに少し疲れた人のとまりぎとして、この街の片隅で美味しいコーヒーとガトーショコラをご用意して、みなさまのご来店をお待ちしております。コトノハでの時間が、あなたにとって大切な宝物となりますように。もしもちょっと生意気な三毛猫におもてなしされたら、それは、新しい一歩を踏み出せる合図かもしれませんよ。

おしまい