最終話 虹

6月のよく晴れた日、絵美子の結婚披露宴が盛大に開かれた。いつもメイクには気を遣っている絵美子だが、プロにメイクアップしてもらい、ウェディングドレスを身に纏った姿は、見る者を惹きつけるだけのパワーに溢れていた。

「おめでとー!」

友人たちからフラワーシャワーを浴びる絵美子。列の中には桃香と真一、ふるーるのメンバーも招待されていて、みんなで絵美子を祝福した。

「ありがとうね!」

弾けんばかりの笑顔を見せた、絵美子。桃香は挙式の最初から最後まで泣きっぱなしで、ふるーるのメンバーと考えた余興では、半分しゃくりあげながら「トリセツ」と「バタフライ」を歌った。

絵美子のサッパリとした性格からだろう、ブーケトスは指名される側の気持ちを察して行わなかった。その代わり、披露宴で円卓の名札の一人ひとりに、メッセージを書いていた。

それに気づいた垣内さんが、「わぁ!」と声をあげ、「なんて書いてある?」と聞いてきた。

桃香が名札を裏返すと、そこには絵美子の丁寧な文字で、

『I am so proud of being your friend !』 と書かれていた。桃香の涙はエスカレートし、人目もはばからずわぁわぁと泣いた。それを真一が優しく背中をさすり、宥めてあげる。

「俺の方には、こう書いてあったよ」

『桃香を幸せにしなきゃ、ただじゃおかないからね!』

「これは怖いね。絵美子さんらしいや」
「絵美子ぉ〜!」

所長さんこと三浦さんもスーツでおめかしして嬉しそうにしている。介助者が三浦さんの名札を裏返すと、「桃香のことを、よろしくお願いします。厳しく優しく鍛えてください」とあった。

そう、桃香はふるーるで障害当事者として働き始めたのだ。まだ見習いだが、毎日、真面目に通っている。

披露宴が終わった帰り道、履きなれないヒールで足が疲れたのだろう、桃香は真一を促してドトールに寄った。喫煙席には若干の空きがあったので、桃香がコーヒーを2つ注文した。真一はさすがにケムリ切れだったらしく、いそいそと煙草に火をつけた。

コーヒーを飲んで、一息つく二人。

「いい、式だったね」

桃香は思い出し泣きそうになりながら言った。

「絵美子、本当に綺麗だった。幸せそうだった」
「そうだね。みんな楽しそうだったし。本当に、良かった」

真一は煙を吐き出すと、うーんと背伸びした。

「そうだなぁ……」
「どうしたの?」
「俺も、桃香のドレス姿、見たいな」
「えっ」

真一は右手を桃香のそれに絡ませて、「もう少し、その日が来るまで、待ってほしい」と真顔で言った。桃香は赤面して、へにゃっと笑う。

「……うん」


「桃香ちゃん、今日2時から面談だから、準備をよろしくね」

「はい!」

ふるーるの相談員見習い、桃香は元気よく返事した。兵藤さんも桃香を可愛がっている。

「えーっと、区役所に出す書類のコピーは……」

桃香はようやく、自分の障害を受け入れることができた。それもあってか二人のラブラブぶりは衰えという言葉を知らない。

職場ではさすがに手を繋ぐなどは自重するが、帰りはいつも同じだし、桃香が一人で電車に乗れないのを理由にして家まで送り届けるのは日常茶飯事だ。


ある日、夏の終わりにスコールが降った日があった。外回りから帰ってきた真一はびしょ濡れになった。桃香がタオルを差し出して、

「大丈夫? 風邪引かないでね」
「ありがとう。あの勢いだと、すぐやみそうだけどね」

そこへ、兵藤さんが麦茶を持ってきてくれた。

「お疲れ様。報告書は今週中にお願いね」
「はい」

タオルで頭を拭いた真一は、すぐにデスクに向かおうとした。すると、外を覗いていた桃香が「あ!」と声を上げた。

「どうしたの?」

兵藤さんが同じく外を見ると、雨はすっかり上がっていて、遠くに虹が出ていた。

「安田くん! こっちこっち」
「え?」

真一は言われるままに、机を離れて窓から空を見た。

「あ!」

虹は儚い。だからこそ美しいのだろう。真一はじっとそれを見つめた。自然と隣に桃香が寄り添い、やはり虹を見つめている。

兵藤さんは雰囲気を察し、そっと退散した。

「真一と虹を見るの、初めてだね」

桃香が言う。

「桃香とまた、何度でも、虹を見たいな」

真一が言う。

二人は、向き合って微笑みあった。

 

たくさんの人々に支えられ、二人は愛と絆を大切に育んでいる。その種は、ようやく双葉を出した頃だろうか。花咲く日にはまだ遠い。不器用で、でも優しい彼。たまに壊れては影に飲まれる。泣き虫で、でも強い彼女。よくワガママをまき散らす。

そんな二人の歩む道には、これからもたくさんの困難が待っていることは間違いない。それでも、「大丈夫。きっと、大丈夫」。そう、痛みにも影にも傷にも、全てに意味があることに感謝を込めて、二人は歩み続けることができるのだ。手と手を、繋ぎながら。

激しい雨の後にこそ、空には虹がかかる。そして、見上げないと、その虹は見ることができない。夜明け前が最も暗いと言われるように、光の射す一歩手前がきっと、最も苦しいときだったりする。それを抜けたからこそ、世界は彼らに微笑む。二人はそのことをよく知っている。だから、今日も明日も、微笑みあうことができるのだ。

 

おしまい。